「こんな自分じゃ嫌だ」。大きな顔に小さな目、なんとなくぼんやりとした顔が嫌いだった中学生時代。鏡を見ながらおしゃれすることはなかった。今では飽きない顔だと自分で笑える。
そんな私が自分自身の中にある我欲や嫉妬心に氣づき始めたのは20代半ば。
長年いい人だと思い込んでいた分、ショックは大きかったが、おもしろいと思えるようにもなった。
何が違うかというと、悪玉を持った醜い自分を、一歩離れてじっくり眺めることが出来るようになること。
自分以外の人が可愛がられ評価されている時に、被害者のような顔をしていじけている姿。
これといった努力もせず、結果だけ求めている時のもの欲しそうな顔。
「こんな自分は好きになれない。嫌だ」と思った時から、自分との戦いが始まる。
誰もが持っている人間性の悪玉(我欲、嫉妬、迷妄、憎悪など)を無理に押さえ良い人を演じたり、正義感にすり替えて外部への攻撃に向けるのではなく、「少しでも、もの事が分かるようになりたい。
人の役に立ちたい」と思い努力しているうちに、悪玉のエネルギーも、前向きな働きかけや他人へのやさしさに昇華されてゆく。
自分が楽しくて相手にも喜ばれる、この戦は一石二鳥。
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