人間としてできるだけ美しくありたい。これは私の大きな目標の一つだ。
その基礎は子供の頃から、私の行動の指針となっていた。
我が家は経済的には貧しかったが、子供ながらに「貧乏たらしいのはイヤだ」と思っていた。だから牛乳やアイスクリームのふたは舐めない、友達とお菓子を食べる時、われ先に手を出さない、むやみに人のものを欲しがらない、美味しいものは一人でこっそり食べない。
そんな些細なことだが、時にはやせ我慢してでも貫いてきた。
自分では、それが心地よかった。
18歳の時、いつものように「私は後でいいよ」と遠慮する私に、「自分では良いと思ってやっていても、時には自分を出さないと、かえって周りの人に氣を遣わせるんだよ」と教えてくれたのは、一歳年上の女性だった。
そう言われても、すぐに行動は変えられなかったが、私の心に響くアドバイスだった。
必要な我慢と不必要な遠慮。自分に芯棒がなく、ものが分からない時は、逆のことをやってしまう。
日頃自分がやっていることを、少し離れたところから見た時、好きでいられるのか、信頼できるのかを、時には考えなければならない。
部下や後輩、そして子供は、言葉で伝えることよりも、日常の行動を見て育つ。
|