ありがとうを伝えよう


黒川支店  三品 源成

 私は2人兄弟で妹がいます。

子供の頃からケンカばかりしていましたが、そんな妹も5年前に結婚しました。

雨上がりのよく晴れた日に、東区にある小さな教会で式を挙げました。

親族と友人の少数での式ではありましたが、教会に礼拝に来ていた近所の方も参列して一緒に讃美歌を歌って祝福してくださり、とても心が温かくなった家庭的な式でした。
 昔は両親ともよくケンカをしていましたが、今まで見たことがないような笑顔で嬉しそうに話していました。

父親は妹と一緒にヴァージンロードを歩くときに、緊張というよりも淋しそうな顔をしていたのが印象的でした。

久しぶりに家族みんなが揃い、大きな親子愛と親への感謝の氣持ちを改めて感じた1日でした。

 

金山支店 吉田 篤史

 2年前に大宝運輸に入社したのと同時に結婚式を挙げました。

一般的に花嫁が両親に向けて手紙を読むということはよくあると思います。

結婚式の3日前くらいにどうしてそう思ったのかはわかりませんが、「結婚式で両親に感謝の氣持ちを伝えなかったら、もう一生言うことはないだろう」と思いました。
 そこで嫁の手紙の後に時間をもらい、人生で初めて両親に反省と感謝の氣持ちを伝えました。

「今までたくさん迷惑をかけてすみませんでした。そして見放さずにいてくれてありがとうございました。」と書いた手紙を母親が泣きながら受け取ってくれた姿が私の結婚式での一番の想い出です。

恥ずかしくてなかなか「ありがとう」と言えませんが、これからは素直に伝えられるようになってゆきます。

 

西春支店 三好 友隆

 私は2007年の28歳の時に結婚して7年目になります。

それ以前の私は27歳まで父親との関係が悪く、近くに住んでいながら7年ほど会うことがありませんでした。

その関係が改善されなければ、父親に結婚式に出てもらうこともなかったと思います。実際に姉たちに父親を招待するのかと聞かれ、「当たり前だ」と答えると驚かれるほどでした。

 両親との関係を見直すきっかけとなったのは、大宝運輸に入社させていただき、色々な場で指導、指摘をいただいてからです。

両親を「親」としか見ていなかったのが、一人の人間として見て、相手に弱さや悲しみがあって当たり前だと思えたときから、私の見方も変わってきました。

そういった経緯があり、結婚式に出席してもらい、父が涙ぐむ姿を見たときには込み上げるものがあり、今日という日があって良かったという思いと、多くの人に来ていただき、自分が人に活かされて生きているということを実感したことも想い出として残っています。


港支店 伊勢 真吾

 今から12年前、6月ではありませんが3月に結婚式を挙げました。

当日は緊張などを紛らわそうとお酒を飲み過ぎてしまい、あまり覚えていません。

その中でも思い出に残っていることは、披露宴での新郎新婦の入場曲です。

定番ですが、当時流行っていた安室奈美恵の「CAN YOU CEREBLATE?」を流しました。私が安室奈美恵が大好きで式では絶対使いたいと思っていたのを覚えています。
 スピーチでは、友人が見栄を張って原稿を持たずに話し始めたのですが、緊張でカミカミになっていました。

ですが、スピーチのお願いをした時に快く引き受けてくれました。

私も友人の結婚式のスピーチを頼まれたら快く引き受けたいと思います。

お酒はほどほどに・・・。

 

犬山支店 長縄 秀隆

 私の結婚式の思い出は、3年前に行われた高校時代からの友人の結婚式です。私は新郎の友人として参加しましたが、その席で高校を卒業してから数年振りに会った友達との話が盛り上がり、お酒もかなり飲んでしまいました。

結婚式の余興では、外国人タレントが歌うパフォーマンスがありましたが、泥酔していた私は、その外国人パフォーマーからマイクを奪い自らパフォーマンスを始め、結婚式を無茶苦茶にしてしまいました。
 翌日の朝、「ああ、やってしまった。友人を一人無くしてしまった」と激しく後悔しました。しばらくすると新郎から、「昨日はありがとう。お前のお陰で楽しく思い出に残る結婚式になったよ」とお礼のメールが届きました。

今でも、その新郎とは年に数回、野球観戦に行くなどの交流を続けています。

 

中川支店 福田 光博

 友人や親戚などの結婚式には何度か出席しましたが、やはり自分の結婚式が一番想い出に残っています。

今年で結婚20年目を迎え、あっという間に感じます。当時の結婚式は派手婚名古屋と言われ、ゴンドラやスモークなど引き出物も大きく多く重いものが当たり前の時代でした。
 私は当時、中華料理店で働いていたので、式のイベントで料理を作って出席者に振る舞いました。

嫁がドレスで、私がコックの服装で各テーブルに運び、とても楽しい式になりました。関東から私の親戚が、高知から嫁の親戚が出席し、日本の中央の名古屋に集まって私たちを祝福して下さった司会者の言葉がよみがえります。

 

大高支店 谷口 貴寿

 私が結婚式を挙げたのは、ちょうど2年前になります。初めは式の日取りも考えず、「式場ってどんなところだろう?」と2人でブライダルフェアに行きました。

偶然にも希望していた6月に1日だけ空きがあったため、意外にもあっさりと式場と日程が決まりました。

後日、両家へ報告するのに氣苦労があったことを今でも覚えています。

 式場、日程が決まると次に待っているのは準備です。

衣装は思っていたよりもすんなりと決まったものの、式の進行やBGM、引き出物など決めなければならない事が山ほどあり、時にケンカもしつつ進めていきました。式、披露宴では親族、友人をはじめ多くの方に祝福をいただきました。

普段お世話になっている方、特に今まで育ててくれた両親に対し、感謝の言葉を伝えることができ、挙式をして良かったと心から思える式になりました。

 

春日井支店 永井 幹大

 私が印象に残っている結婚式でのエピソードは、中学からの友人の結婚式に招待してもらったときのことです。

友人とは中学校を卒業してから接点はなかったのですが、4,5年前に行った同窓会がきっかけで、それから氣が向いた時に飲みに行くようになりました。

ただその友人はあまりお酒を飲むことはありませんでした。

 そんな友人が結婚式の時、私がお酒を注ぎに行くと勢い良く飲んでくれました。「もしかしたら普段は我慢していたのかな?」と思って見ていると、友人は急に立ち上がり満面の笑みで踊り?なのかよく分からない動きをして、また元の席に戻りそのまま寝てしまいました。

後日友人に聞くと、酒癖が悪いので、控えていたがついつい飲んでしまったと言っていました。


岡崎支店 石原 弘次

 今日まで、親戚や友人、家族など数々の結婚式に出席させていただきました。

その中で特に思い出深く印象に残っている結婚式は、昨年の2月に入籍した我が娘の結婚式です。

娘とは11年前の私の離婚をきっかけに離れて生活をしていましたが、月日を重ねるごとに子供から大人への階段を昇ってゆく姿を見ては、いずれは嫁ぐ日が来るんだろうなと思っていました。

しかし私の思いとは裏腹に入籍前に子供を授かり、色々と話し合いを重ねた結果、子供のことを尊重し急遽、入籍し結婚式を挙げる運びとなりました。
 結婚式当日、娘は純白のウエディングドレスに身を包み、「お父さんありがとう」の一言に、私はグッとこみ上げてしまいました。

あれから約1年が経過し孫は1歳となり、時々娘の自宅に押しかけては、おじいちゃんバカをしています。

 

四日市支店 毛下 成人

 ジューンブライドと言えば女性は憧れる人も多いと思います。私と妻は6月に入籍しました。偶然にも妻と出会ったのが6月で、付き合って9年が経ち、そろそろ結婚しようと決めたのが8年目の冬でした。「せっかくなら出会った6月1日に籍を入れよう」と予定していましたが、準備不足で入籍できず少しケンカをしました。そのため少し遅れて6月15日に入籍をしました。大阪と東京出身で他県で結婚するのに何も知らず、誰にも聞かないまま準備を始めてしまったからだと思いました。
 仕事も同じことで、分からない事は分からないままやらずに、分かる人に聞いてから行なうことが大切なのだと思いました。

 

三好支店 澤間 和作

 1992年、今から21年前の4月12日土曜日に新横浜の駅前にあるホテルで結婚式を挙げました。

当日は80名くらいの方を招き、祝福していただきました。私の親戚の叔母たちは田舎育ちだったため、朝から横浜に買い物に出かけ、式の開始直前に戻ってきたことを覚えています。

先輩が当時流行っていた「抱きしめてtonight」を歌って盛り上げて下さり、祖母が妻を双子の妹と間違えていたことなど色々な場面が昨日のことのように思い出されます。
 ただ、「結婚して10年経ったら、もう一度新婚旅行で行ったパリ、ニース、モナコに行こう」という約束を果たしていないので、2人の子供がもう少し大きくなったら4人で旅行に行きたいと思います。

 

本 社 稲垣 直喜

 今までで最も印象に残っている結婚式は、今から遡ること2009年に挙げた私の結婚式です。

つつが無く式は進行し、最後の新郎(私)の挨拶の直前にサプライズは起こりました。おもむろに新婦(嫁)が立ち上がると、スタスタと友人の方へ・・・。

そして、会場のスタッフの方と友人の一人と何やら打ち合わせを始めました。

そして次の瞬間、トロンボーンでポパイの演奏を始めました。なぜポパイ?と一瞬思いましたが、よくよく考えたらその曲は学生時代に応援団の演奏部に所属していた時の応援歌でした。

それよりも式当日までに、仕事で時間がほとんどない中、楽器をレンタルしてまで練習してくれていたことに感謝と感動を覚えました。
 そんな妻が今月、2人目の子供を出産しました。

今まで以上に労り、明るく楽しい家庭をこれからも一緒に築いてゆきます。

 

車輌部 小笠原 正俊

 結婚式で恥ずかしい想い出があります。それは2000年5月13日のことです。長女の結婚式をフランス料理店で行ないました。

最後の挨拶は新郎の父親にしていただけるという氣楽さもあり、多くの方に祝福されワインをついでいただきました。

根っからのお酒好きということもあり、ついでいただいたお酒はほとんど飲み干していました。
 ところどころは記憶があるのですが、午後4時ごろ氣がついた時には自宅で寝ていました。

結婚式の事をあまり覚えておらず、とても恥ずかしく思い自己嫌悪に陥り、13年経過した今でも長女の結婚式のビデオは一度も見ていません。

おそらく一生見ないままいると思います。


 

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黒川支店  宮本 一幸

 今までで1番「ありがとう」を伝えなければいけないけれど、面と向かって言うことができていない人は、母親です。照れくさく、伝える機会を逃してしまっていました。

私が13歳の時に父が他界してから女手一つで育ててくれました。

社会人になっても食事や洗濯などいろんな事をしてもらっています。それが当たり前になってしまい、感謝を言葉にしたことがなく甘えてしまっています。
 最近は身体の調子が良くなかったり、元氣がないことがあるので、これからは私が母を支えてゆけるよう頑張ってゆきます。

明るく元氣な母でいてくれるよう、長生きしてくれるよう、そして感謝の氣持ちを込めて「お母さん、ありがとう。

 

金山支店 横川 浩司

 いつも御飯を作ってくれる父に「有難う」。私が25歳の時に母が他界し、それからは父が食事担当、掃除と洗濯を私が担当し、今でもそうしています。

時にはケンカをして怒鳴り合ったりしています。

毎日御飯を作る事は本当に大変だと思い、休みの日に「たまには私が作ろう」と思い、作った事がありましたが、氣にいらなかったのか分かりませんが、ほとんど食べませんでした。

それから料理は作らないでおこうと思いました。
 こうして毎日、仕事をさせていただき、帰る場所があり、幸せだと感じています。感謝の氣持ちを持ち続けることは難しいことですが、感謝の氣持ちを忘れずにこれからもやってゆきたいと思います。

 

西春支店  竹内多加美

 車で田舎へ帰省する途中のことです。

私はその日体調が悪く車中で寝ていました。途中でサービスエリアに寄り、お手洗いへ主人と子供が行ったあと、私もお手洗いへ行きました。

運転を交代しようと思いながら駐車場へ戻ると、車が停めてあった場所にない!朝の4時半にサービスエリアに置き去りにされ、頭の中はテレビの砂嵐のようでした。はっと我に返り、公衆電話から主人の携帯に電話をかけました。

その時の会話は言うまでもありません。「次のサービスエリアで待っていて」と伝え駐車場に戻ってから「どうしよう。」と思っていたところに1台の名古屋ナンバーのワンボックスカーが現われました。

私は車の前に立ちはだかり、車を止めていただいて事情を説明しました。

はじめは驚かれましたが、快く車に乗せてくださり、眠っているお子さんの隣りに座りました。
 同情と笑いの中、次のサービスエリアに着くと、長身の主人は二つ折りの携帯電話のようになりながらひたすら謝っていました。

見ず知らずの私を乗せてくださり、名前も住所も聞かず、その場だけのお礼だけでごめんなさい。本当に感謝しています。ありがとうございました。


港支店 後藤 英生

 今から20年前のことになりますが、私と話をしていた弟が突然倒れました。

すぐに救急車を呼び病院まで搬送してもらいましたが、31歳という若さで弟は帰らぬ人となりました。

その時に私が受けた衝撃は、その後の人生観を大きく変え、仲の良かった弟の突然の死から今を生きることの大切さを深く考えました。
 その時になるまで私は全てにおいて当たり前に思い、人に感謝する氣持ちも薄かったと思います。

しかし弟の死をきっかけに私は様々なことに対して感謝の氣持ちを忘れないでいます。

朝仕事に行く時は弟に手を合わせて家族の無事をお願いし、帰った時は無事に過ごせたことに感謝の氣持ちを伝えます。

仕事ができることに「ありがとう」、私を支えてくれる家族に「ありがとう」。これからも「ありがとう」の氣持ちを忘れずに過ごしてゆきます。

 

犬山支店 河合 逸郎

 私は九州の宮崎県で生まれ、そこの環境に感謝しています。

山に囲まれた小さい田舎で、実家の周辺には花粉症の元になる杉の木がたくさん植えてあります。

恐らく桜島の火山灰対策のために植えたのだと思います。それだけでなく、周りの山々も杉の木だらけです。それでも私は、今日までくしゃみ、鼻水、目のかゆみなどの花粉症には一切無縁できています。
 7歳頃から近所の上級生に野山や川へ連れて行ってもらい、鳥や動物、魚を捕って食べるための仕掛けの作り方を教えてもらったり、食べられる草や木の実、止血に使える薬草なども教えてもらいました。

今でも川面に魚影を見つけると、氣持ちがワクワクします。

最近、山々を見ているとそろそろ木の実や野草が食べられる季節がきた事を感じるとともに、子供の頃を思い出します。

これからも自然を大切にし、また孫にも自然の良さを感じてほしいです。

 

中川支店 鷲野 怜司

 私には、大宝運輸に入社するまで就職活動をともにしていた頃の友達がいます。その友達は現在、バス会社に就職し研修期間を終え、今では乗務職員として路線バスの運転をしています。

会社は違っても同じ乗務職員として働いているため話が弾むことが多く、大型バスの運転の仕方や乗車してもらう時などに、どのような工夫や注意をしているかを聞き参考にしています。
 会社は違いますが、ある意味同期としてこれからもお互いに安全運転をして、良い関係を築いてゆきたいです。

そして、何でも話し合えるその友達に「ありがとう」と伝えたいです。

 

大高支店 田原 和人

 私が「ありがとう」と伝えたい人は自支店の業務をしていただいている協力業者の方です。

その方は昨年の11月頃から新しくみえ、私が夜中にピッキングした商品を配送していただくのですが、私のピッキングミスを指摘して下さったり、また月間でのミスの回数を教えていただいた時は、驚きました。

 どうしたらミスがなくなるのか考え、指摘を受けたミスの内容を教訓にして、検品、ピッキングをするようになりミスが減りました。

その方のおかげで私の業務に対する姿勢も少しずつ良い方向に変えられるようになりました。

今後もミスを起こさないように自支店の方、協力業者の方から指摘をいただきながら仲良くやってゆきます。

 

春日井支店 岡田 幸雄

 私が感謝していることは仕事ができることと、させていただけることです。

私は約半年の間、病気のためお休みをさせていただいていました。

そして今年の5月7日から職場に復帰することができました。

復帰をするにあたり、手術の影響もあり不安でしたが、富樫課長から「家にいても身体を動かさないだろうから、リハビリをかねて会社に来ないか?」と言っていただき大変助かりました。
 入院をする以前は健康に関しても無関心で、健康診断の結果もあまり氣にしていませんでした。

これからはみんなに迷惑をかけないように、体調管理にも氣を配り、元氣に働ける条件を作って行きます。


岡崎支店 横山 路代

 私は生協の宅配を利用しています。担当の人は私よりとても若い女の人です。

毎週1回注文した新鮮な野菜などを自宅に届けてくれます。

私が帰ると届いているので めったに顔を合わせる事がないのですが、宅配の商品と一緒にいつも顔写真とメッセージが入っているので、とても身近に感じています。
 そして何度も私が注文書を入れ忘れたので、その度に電話を入れてくれました。さすがに最近では私も慣れてきて注文書を入れ忘れる事はありませんが、仕事とはいえ親切丁寧な対応をしてくれる生協の宅配の人に感謝しています。

今では仕事の帰りに買い物しなくてよくなり、慌てることなく落ち着いて帰れるので、その事にも感謝しています。

 

四日市支店 大西  力

私が「ありがとう」の感謝の氣持ちを一番伝えたい人は、親と兄弟です。

親、兄弟には、これまでずいぶんと苦労と心配をかけてきました。

今は別々の所に住んでいますが、ちょっとしたケガや風邪をひいた時は、車で一時間半くらいかけて実家からかけつけてくれたり、私が仕事で忙しくて電話していない時が続くと、心配して「どうしてるの?元氣でいるの?」と気遣ってくれます。
 「ありがとう」の言葉を言いたいと思うのですが、恥ずかしい氣持ちがありなかなか口にすることが出来ないでいます。

しばらく実家に電話をしていないので、5月12日の母の日に電話をして「ありがとう」を伝えます。

 

三好支店 吉金 敏幸

 感謝の氣持ちを伝えたい人はたくさんいますが、その中でも一番伝えたい人は妻と子供たちです。

私は仕事から帰るとご飯を食べて、テレビを見て、お風呂に入って寝るだけで、休日も自分の好きなことをして家事を一切手伝っていません。

平日は妻も働きに出て疲れているはずなのに、家事も子育ても一所懸命してくれます。
 私や子供たちのために毎日頑張ってくれている妻に、「ありがとう」と直接伝えたいのですが、恥ずかしいので、この場をお借りします。

「いつもありがとう!」そして子供たちはいつも事故がないよう心配してくれます。そのおかげで今まで無事故で仕事をしてこれていると思います。

3人の子供たちにも「ありがとう。」

 

本 社 國武 由美子

 私は数年前に入院し、闘病生活を送った事があります。

その辛い経験から毎日を普通に過ごせることが、どれだけ幸せで嬉しいことかを学びました。

仕事に行ける!働くことができる!おいしくご飯がいただける!病院ではできません。今は健康になった自分の身体に「どうもありがとう」と言う氣持ちです。

そして忘れてはいけないのは、心配をかけた家族や友人、お世話になった病院の方々です。

私に勇氣をくださったみなさんに「ありがとう」という思いでいっぱいです。
 先日、大宝運輸に入社させていただき、ますます「生きているって素敵だなぁ」と感じています。

今度はお世話になる職場の皆さんから「ありがとう」と言っていただけるよう頑張ってゆきたいと思います。

 

車輌部  成田 一彦

  「ありがとうを伝えよう」というテーマについて色々考えていて、家内に対して書こうと思いました。私をいつも支えてくれ、多少のわがままも許してくれます。

時にはお互いのエゴで口喧嘩もしますが、最後には家内から近づいてきてくれて仲直りします。

なんだか、のろけてしまいました。

色々な面で助けてくれる家内に「ありがとう」を伝えるのは少し恥ずかしさを感じますが、勇氣を出して「ありがとう」と伝えたいです。