金山支店  高橋 仁 たかはし ひとし)

 私が人生の中で一番燃えたことは、1970年代に流行したボーリングにハマっていたことです。

その頃、ボーリング場は私の自宅から半径5km以内に5店舗もありました。

ゲーム代、貸靴、ドリンク合わせても今でいうワンコインで充分楽しめた時代です。
 友人に誘われて初めてボーリングをしたのは中学生の頃で、それ以来毎日のように通い続け、土・日はボーリングに時間を注ぎ、それ以外のことは何もしなかったほどです。本氣でプロになってみたいと思うほどでしたが、それは諦めました。

今も毎月2回ぐらいのペースで小さな大会に出て10ゲームくらいは楽に投げられます。健康にも非常によく、手軽にできるスポーツですので運動不足の方にはおすすめです。

 是非始めてみてはいかがでしょうか。いつでも一緒に行きますので…。

 

西春支店 神崎 正男 かんざき まさお)

 今一番熱中していることは、毎日1時間から2時間の読書です。

歴史が好きで、その中でも織田信長に興味があります。昨年、司馬遼太郎の『国盗り物語』から読み始めました。

戦国時代の流れを読み進めていく中で、この時代の言葉は難しく、分からない言葉を辞書で調べながら理解して読む楽しさを知りました。

戦国の世を生きていた主人公が何を考え、生きぬいていたのか、沢山の試練の連続で凄まじい時代だったと思います。

自分とすり合わせて考えながら読むことで学ぶこともできると感じています。

戦国時代の武将それぞれの生き方があり、中でも関ヶ原の陣で徳川家康と戦った、石田三成の謀臣(計略に巧みな家来)島左近という武将に興味を持ち、この人物の生き方に強く惹かれました。

読まれた方はご存じだと思いますが、豊臣滅亡までが書かれた『城塞』で、豊臣家を支えた伊賀忍者霧隠才蔵の『風神の門』を現在読んでいます。

 興味がある方は是非読んでみてください。

 

名南支店 原田 裕樹 はらだ ひろき)

 私が燃えたものは、学生時代に祭でやった和太鼓です。

私が生まれた地域では夏祭りに祭囃子をやるのですが、私は昔から祭小僧だったので、一ヶ月前から行う練習が楽しみで仕方がありませんでした。

その祭囃子のメインが和太鼓でした。

夏休みが始まると毎晩練習をして手に肉刺が出来て、それを潰して、また肉刺をつくって…とても痛かったですが毎晩本当に楽しかったです。

練習も始めのうちは遊び半分でやっているのですが、一週間前にもなると「掛け声が小さい」「もっと体を大きく動かせ」などの指導が入り、自分たちも暑くなってきて上手くできないと悔しくて泣いたこともありました。

本番になると今までの成果を披露しようと一所懸命汗だくになりながら、また手には肉刺が出来ていました。

そして終点の神社の近くまで行くと花火が上がり、その花火を見ると、この一ヶ月間の練習のことやまた来年まで祭りを楽しみに待つ氣持ちで涙が出ました。
 これが私が熱くなった夏の想い出です。


犬山支店 田中 昭弘 たなか あきひろ)

 私が人生の中で熱く燃えたものはバイクです。

あれは今から40年程前、RZ350で峠をせめていた頃、旧車ながら350のおかげで、当時の2st250や4st400など敵ではありませんでした。

そんな時、RG400が出た!これは速い!最高速ではとても敵いません。

しかし、峠は車だけではありません。さすがに上りでは立ち上がりで離されますが、下りではこちらの方が速い。

思い起こせば小中学生の頃、小牧山を自転車で下っていました。

昔の道路なので舗装もしておらず、滑ってばかりで下っていました。

バイト代をバイクや車につぎ込んで、本当にあの頃は熱かったです。

 今は安全運転を心掛け、無事故でやってゆきます。

 

大高支店 松岡 弘司 まつおか こうじ)

 私がやりがいを感じていることは、8t車での業務です。

入社して大高支店の8t車を見て憧れを持ち、運転してみたいと思いましたが、大型免許を持っていませんでした。

夜勤の業務から日中の業務に変わったのをきっかけに、大型免許を取得しました。

仕事をしながらの教習所通いだったので、取得するまでに約一年かかりました。

取得してからは、業務の合間に8t車の横乗り指導を受けました。

トラックが大きくなる為、考え方や行動も改め、高めるために安全委員の方に指導して頂きました。

今思えば、8t車の運転指導をきっかけに、私の人間性について指導して頂けたことが自分にとって良かったと思っています。

大きなトラックに乗る怖さや不安もありますが、念願の8t車に乗れる嬉しさや楽しさを感じながら、氣をつけて運転してゆきます。

 

岡崎支店 儀間  斉 ぎま ひとし)

 私が今燃えていることは、ゲーム製作です。

小学生の頃からよくゲームをして遊んでいて、ある日姉から『ファイナルファンタジー9』というRPGゲームを勧められました。

プレイしてみて、ストーリーの面白さや奥深いシステム、幻想的なグラフィックなどどれをとっても当時の私には衝撃だったことを今も覚えています。そのことがきっかけで、「いつかはこんな凄いゲームに自分も携わって製作してみたい」と思うようになりました。

そして商業高校に入学して、プログラムを学べる学科を選択し、基礎を学びながら授業の一環として簡単な計算ソフトや友人と協力してすごろくゲームなどを作っていました。

その経験を活かしながら、今は本を読んだりインターネットで調べるなど独学も含めスマートフォンのアプリ作りに挑戦中です。

いつかは私が体験した衝撃を多くの人に味わってもらえるようなゲームを作りたいと思います。

 

春日井支店 林 茂治 はやし しげはる)

 今の私は、あまり燃えるものもなく、熱中していることと言えば読書と映画鑑賞と、若い頃に形式的に書いていた履歴書を思い出します。

こう見えても昔はアウトドア派で、モータースポーツに目覚めていました。

最初は高校1年の頃からモトクロスを始め、競技用バイクをバイトをして購入(20万円くらいでした。)し地方大会にも出場しました。

プロを目指そうと真剣に考えていましたが、練習中にケガをして、それ以来乗らなくなってしまいました。

その後は2輪から4輪に転向しレーシングカートをやり始め、これもバイトをしてマシンを購入(40万円くらいでした。)し、レースにも出場しましたが、結婚し子供ができると色々大変なこともありやめてしまいました。

自分の人生の中では、アグレッシブに動いていた時期でした。今はなかなかできませんが、本を読んでいる時が私の小さく燃えている時間だと思います。
 これからも楽しく読み続けてゆきます。



三好支店 澤間 和作 さわま わさく)

 20年程前の話になりますが、当時私は、福井県に住んでいました。

とても方言の強いところで、なかなか地元の人と仲良くなることが出来ませんでした。

そんな時、会社の同僚から「ソフトボールやらないか」と声をかけてもらいました。

中学時代に野球をやっていたので、すぐ返事をしてチームに入れてもらいました。

福井県はソフトボール熱が高く、福井市内だけでも200チームぐらいありました。

プロゴルフで活躍した岡本綾子さんも若い頃、福井の実業団でピッチャーとして投げていたそうです。私は‘N球’というチームに入れてもらいました。

監督が電気屋さん、助監督が保険屋さん、その他にもコンビニのオーナー、肉屋さん、酒屋さんなどいろんな方がいて楽しいチームでした。

何より楽しかったのは試合後の打ち上げで、昼から夜遅くまで反省会という名のもと酒を飲み、騒ぐことでした。

おかげで地元の人とも仲良くなって充実した5年間でした。

 

四日市支店 川合 淳民 かわい あつたみ)

 すでに燃え尽きたことですが、今年の初めに松田支店長から「運行管理者の試験を受けてみないか」と声をかけて頂き、受験することにしました。

早速、3月の試験に向けて勉強を始めましたが、とても難しく、結果は不合格でした。

それから直ぐ、5月に臨時試験があったので、前回よりももっと勉強しようと再チャレンジしましたが、結果は不合格でした。

疲れて晩御飯の後の眠気に勝てないことが多かったことが原因です。

8月の試験は申込期限が過ぎてしまったため、次の試験は来年の3月になります。

「3度目の正直」という諺のように、今度こそ試験に合格できるよう再燃して頑張ります。

 

本社  中島 奈美 なかしま なみ)

 今までの人生で一番燃えたこと…を考えてみましたが、小学2年から始めたソフトボールを20歳まで続けていたことでしょうか。

中学から縁あって、当時強豪と言われていたソフトボール部のある女子高に通い、高校三年の春には全国私学大会にも出場しました。

体が小さい方だったので、「人と同じ練習をしているだけではレギュラーを取られてしまう…」と生粋の負けず嫌いはその頃から爆裂していました。その後、某百貨店に就職しソフトボールを続けていましたが、バブル崩壊と共に社内の部活動も次々とその煽りを受け、私のソフトボール人生は幕を閉じました。
 今ではもうソフトボールを握る握力もなく、バットを振れば遠心力に負けてくるりと一周まわってしまう始末ですが、運動不足にならないように、また何か趣味を見つけて体を動かしたいと思います。
 でも今は太陽の下ではなく、もっぱら室内健康器具で地味〜に汗をかいています。

 

車輛部 阿部 菊夫 あべ きくお)

 私がオートバイに強く心が惹かれていたのは、50年前の16歳の時でした。

私の家は農家で米や野菜をリヤカーで市場まで運んでいましたが、運ぶ量が多くなりリヤカーを牽引するためのオートバイを買いました。

そのオートバイを見た時に「早くバイクに乗りたい」と思いましたが、免許をまだ持っていませんでした。
 17歳で免許を取り、オートバイを買うために夏休みと冬休みはアルバイトをして、ようやく念願のオートバイを買うことが出来ました。

中古のオートバイでしたが、届いた日から座席を赤いダブルシートに変えたり、自分が氣持ちの良い排気音出すために時間を惜しまずオートバイをいじっていたことを覚えています。

友人もオートバイが好きな人が多く、一緒に遠出をしたり、友人の家に行ったり、寒さも忘れるほど楽しく真冬でも出掛けていました。

自分で買ったオートバイとその時の想い出は今でも強く心に残っています。



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