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学校で面白かったのはサッカーです。小学2年生からサッカー部に入り高校3年生までがんばりました。
一番良い結果を残したのは小学生の頃です。強くなるために毎日、練習をしていたのですが、部活では時間が限られてくるので、監督が学校とは関係の無いクラブを作り、毎日、毎日がんばりました。
その結果、春日井市で一番になり、まわりでは敵がいなくなる程強くなりました。愛知でもベスト2になり、県大会にも2度出ています。
その時のトロフィーは今も大事に持っています。
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私の学校生活での思い出といえば、色々な事がありましたが、唯一誇れるのは、小学2年生のときにあった市主催の絵のコンクールで見事に入賞した事です。
市役所に展示され、全校生徒の前で表彰され、当時はわけも分からずに喜んでいたのを覚えています。そのときの表彰状と絵は今でも実家で大事に保管されています。
親は「唯一の表彰状だからね」などと言いますが、両親に喜んでもらえたのは、とても嬉しかったです。
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学校生活での思い出といえば、中学生の時の初デートです。
私たちの時代は今の子達のようにオープンではなかったので、周りには内緒でしたし、正直付き合うという意味もよくわからないで付き合っていたと思います。
初デートは近くの公園でしたが、フォークダンスでしか手を握った事が無かったので、初めて手を握った時は顔から火が出る程恥ずかしかったのを覚えています。
あの頃は純粋だったなぁと、とても懐かしく思い出しました。
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私は高校時代に校訓である「敢為(カンイ)の精神」を学びました。
縁あってボート部(漕艇)に入部したのですが、部員も少なく弱いチームでした。強いチームになりたいと、自然に部員の氣持ちが一つになり、日々練習を続けました。好きな事で全力を出していた為か、全員が輝いていました。
高校生活の終わり頃には満足の行く結果が得られ、部員も増えました。
小さな事でもやり抜いて得た満足感をこれからも増やし、心豊かにしたいと思います。
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一番思い出すのは、高校3年の期末テスト期間中に友達3人と「テスト勉強をしよう。」と集まってコタツで勉強していたのですが、いつの間にか麻雀大会になっていた時のことです。
その時食べた、めっちゃ酸味の効いたミカンの味が忘れられません。
今思うと良くもまぁテスト期間中に麻雀なんてと思いますが、その時の友達に会うと「あのときのミカンの味は酸っぱかったなぁ。」と言って笑い合います。高校時代の楽しい思い出です。
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高校2年の秋、九州へ修学旅行に出発する1週間前に、部活動で左鎖骨を骨折してしまい、不自由な思いをするのだったら修学旅行に行くのをやめようと決めました。
ところが友達から「後悔するよ。俺達が重い荷物を持ってあげるから一緒に行こう」と言ってくれた時、心にジーンときて本当に嬉しかったです。
高校を卒業して20数年経ちますが、今でもそのクラスメイトとは、たまに酒を飲み交わしています。
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現在の業務の基になる自動車科のある高校での授業の実習の中で、現在の業務では出来ない鋳造(金属を溶かして鋳型に流しこんで所要の形に造る事)をしました。
丸いリング状の俗に言う、プーリーを砂型といわれるやり方で多くの行程の後に出来た製品を見た時には感動しました。
また、その授業の時に悪い友達と溶けた金属を水をためた桶の中に入れた時、すさまじい音と水蒸気を出して授業がストップしてしまい、先生にこってりしぼられました。
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専門学校の時の思い出です。
当時私はドラゴンズの私設応援団に入っていました。そのため毎日ナゴヤ球場に開門前から行くので、学校を休んだり、昼休みに脱走していました。
脱走は昼休みにそ〜っと学校のサクを乗り越え、誰もいない草むらをかき分けて、堤防をよじ登り、バス停までダッシュ。毎日がサバイバルでした。そして夜は応援団で応援をする毎日を過ごしました。
それでも無事?卒業できたのですが、入社試験で休みが多い事を聞かれた時に、体が弱いので休みがちでした。と嘘を言ってすみませんでした。
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小学校の頃から運動が苦手で、精神も弱い私でした。
高校に入り少しは強い自分になりたいと思い、剣道部に入部しました。
最初の日おそるおそる部室のドアをたたいて開けてびっくり。そこは何とも言えない香りと、煙(タバコ)で一杯。そして恐い大柄な先輩。
やれるかなと思いながら、蹴倒され、頭突かれながら、夏休みも朝早くから夕方近くまで練習していました。
その時先輩が差し入れてくれたスイカのおいしかった事。今でも忘れられない思い出です。
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