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少し前までは、敬老の日といえば9月15日でした。
自慢ではありませんが、おばあちゃんへの贈り物を忘れた事はありません。その理由は、9月15日がおばあちゃんの誕生日だからです。
花を育てるのが大好きな人で、家には季節の花々がいたる所に置かれ、家の中にいても季節感が感じられました。いつの間にか、そんな部屋の空間がとても居心地よく感じる自分になっていました。
どこにいても花を見ると、おばあちゃんの元氣な姿が浮かびます。
今度の休みに久しぶりに花屋さんに連れて行こうかな・・・
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私が小学校の頃、夏休みになるといつも父の実家に家族みんなで遊びに行っていました。
私の祖父は目が悪く、ほとんど見えていないはずなのに、私が玄関を上がるとすぐ分かって声をかけてきてくれました。
その声はとても低く重みのある声で、子供の私は少し恐く感じていました。
口数も少なく、あまり会話することもなかったですが、そんな厳格な雰囲氣がとても印象に残っています。
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祖父が亡くなって35年になりますが、祖父との一番の思い出は一緒に山で植林をした事です。
当時私は中学生で、春休みに祖父の家に遊びに行っていました。その時「山に木を植えに行くか。」と言われ、最初は簡単な仕事と思い山に行きましたが広大な斜面を前にして、自分に出来るかなと心配になりました。
しかし、祖父が黙々と作業をする姿を見て私も出来るだけ頑張ってみました。2日間ですべて植える事ができました。
今、その山に行き大きく育った杉木を見ると祖父の顔を思い出します。
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私は今、おばあちゃんと両親との4人家族です。
私は平日にはなかなか一緒に食事をする事はできませんが、私が小さかった頃は、よく外食に行った事を思い出します。
最近、食事を一緒にとると「あら、珍しい。」と喜んでくれます。珍しがられるのは少し嫌な氣もしますが、喜んでくれるのはとても嬉しいです。
外食とまではいきませんが、時間が合う時は一緒に食事がとれる様にしたいと思います。これからも、ずっと元氣で、長生きしてほしいです。
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私には、母方の祖父がいましたが、残念ながら4年前に98歳で他界しました。孫15人の内、私が初孫だったので特に可愛がってもらいました。
私が中学生くらいの時、いとこが集まった席で、お金を少しずつ出し合って満州へ旅行に連れて行ってあげたいと話があったのですが、結局実現出来なかった事が心残りでなりません。
その償いと言っては何ですが、この秋に京都へお墓参りをして、改めて感謝の氣持ちを伝えようと思います。
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両親が自営していた関係で私は母方の祖母に育てられました。
祖母によく言われた事で2つの事が印象に残っています。
1つはお米を大切にすることです。食事の時、ご飯を残したり、こぼしたりすると「幹男、目がつぶれるぞ。」と怒られた為、今でもご飯は残しません。
そしてもう1つは「玄関とトイレはいつも清潔にきれいにしなさい。」という事です。これは、いつ、誰が突然来てもいいようにという事だと思います。
周りのみんなにもこの2つはよく言いますが、私もこの2つを意識した言動を心がけています。
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私の母方の祖父、祖母は自宅から近い所に住んでいて、たまに晩御飯のおかずやお土産等を持ってきてくれます。
昔は花見をしたり、近くの公園で遊んだり、色々な所へよく連れて行ってもらいました。最近はどこかに一緒に行くということは、あまりありませんが、家が近くなのでいつでも顔を見にいけます。
また、正月にはみんなで集まって楽しく話をします。これからもずっと元氣でいてほしいです。
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祖母が亡くなって約1年。生きていた時は一緒に住んでいて、いつも祖母に叱られて、よく腹を立てていた。
祖母に何を言われても自分自身を変えようとも思わなかったけど、剣道を通じて色々な人と関わるようになり、色々な話をする中で祖母と同じ指摘を受ける事に氣が付き、少しずつ祖母の話が聞けるようになりました。
しかしその矢先に祖母が亡くなってしまい、今とても悔いが残っています。
その氣持ちを忘れず、人の話を聞き入れ、それを活かす努力をしていきます。
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