黒川支店 石川  常広

 沖縄といえば、みなさん白い砂浜と青い海を思い浮かべると思います。

私が小学校の頃は、よく浮き袋を持って自転車で海まで行った思い出があります。

 その頃の海はきれいで、深い所でも透明度が今とは違っていました。泳ぐのは苦手な私でしたが、素潜りで2m位は潜って遊んでいました。

また、岩場で小魚や貝もよく獲りました。

 その頃の私は今では考えられないくらい年中色黒の活発な少年でした。

 
 

金山支店 安岡 徹

 私の田舎は、大阪です。

小学校時代で思い出すことは、先生や友人、近所の人達の顔もそうなのですが、一番は近所の広っぱで遊んだ思い出です。

 ラジオ体操や夏祭り、もちつき大会、野球の練習等とにかく毎日家に帰るとすぐその広っぱに行きました。

 そこに行けば皆がいて、いろいろな遊びが始まります。遊具も何もないただの広っぱで、おそらく今は建物が建って跡形もなくなっていると思いますが、私だけでなく、そこで遊んだ子供達にとっても、その広っぱは心の中に刻み込まれているでしょう。

 
 

西春支店 一政  信人

 私の田舎は宮崎県です。東国原知事で一躍有名になった県です。

私が育った所は県の南側で日南市という漁師町です。日南海岸には鬼の洗濯岩があり、海岸線沿いはとても景色がよくツーリングには最高の景色が続いています。

 今では観光客は少なくなっていますが、30〜40年前は新婚旅行のメッカだったそうです。

 幼少の頃は、毎年元旦になると船に大漁旗を飾り、海岸沿いにある神宮をめざし数十隻の船でお参りに行っていました。

 町は寂れていますが、私にはとても落ち着ける場所です。

 

港支店 積 勝美

 私の故郷は火の国熊本です。

熊本城と阿蘇山が有名な県で生まれ育ち21歳まで過ごしました。

 思い出といえば近くに有明海があり、子供の頃は潮干狩りや釣りをし、よく泳ぎにも行きました。小学校5年から高校までは野球三昧で、ご飯は丼で2〜3杯は軽く平らげていました。

 故郷の天明町も吸収合併され熊本市に変わり、今では道路も整備され風景も変わってしまいました。

 帰郷する度に時代の流れとともに変わって行く風景を見ると少し淋しくなり、今でもあの頃の風景を懐かしく思います。

 
 

犬山支店 建部 智正

 北海道といえば、ラベンダー畑やとうもろこし、じゃがいも等の食べ物や広大な土地とのんびりとした生活のイメージが浮かんできますが、ここ数年では、あまり良いニュースが聞こえてきません。

 国会議員の不祥事や、白い恋人の問題です。

特に白い恋人は、北海道の代表的銘菓だったので、とても残念です。

寒いイメージのある北海道ですが、人柄や人間関係はとても温かい、いいところです。

 
 
 

中川支店 横川 正一

 私の出身地は石川県金沢市です。

兼六園を初めとする観光都市ですが、実際そのような場所にはあまり足を運んだことはありません。

 思い出といえば、庶民の味?とも言えるソウルフードがいくつかあり、その中の一つ「チャンピオンカレー」は地元でも有名です。金沢カレーの火付け役で、はしでも食べれるこってりした感じがたまりません。学生の頃は週に何度も通いました。

 地元に帰ったときにしか食べられない青春時代(笑)の思い出の味です。

 
 
 

大高支店 合浦 司

 私の田舎は北海道の積丹半島の根元にある岩内町です。

積丹、雷電、ニセコ国定公園の中にあり、自然豊かな土地で、夏は学校をサボリ雷電岬でウニやアワビを潜って捕り、バーベキューをやり、冬の授業では裏山での一日スキー教室。

秋には悪友と山に登り、帰りにはリュックにいっぱいの山ブドウ、栗、キノコ等を採ってきたり、楽しい思い出がたくさんあります。

 三国連太郎出演の『飢餓海峡』最近では、リメークで緒形拳が出演した映画でも岩内町は有名?です。

 
 
 

岡崎支店 永元 恵治

 長崎県壱岐市出身の私がこの時期思い出す食べ物は、玄海灘の寒ブリです。

氷見のブリにも負けない脂の乗った身は刺身が一番。中骨や内臓は煮物に、皮は湯引きをして酢の物にして食べます。

丈島特産の麦焼酎を飲みながら食べるとよりおいしく感じます。

 岡崎ではなかなか天然ブリを口にする事は出来ませんが、養殖のブリで故郷を思い出しています。

 寒い時期の焼酎と刺身は私の大好物です。

 
 
 

春日井支店 谷川 光史

 私は青森県の十和田湖、八甲田山に近い、家が20戸余りの小さな村で生まれました。

 周りは緑が深々として、川の水はとてもきれいで、小学校の頃は水中メガネとモリを持って岩魚獲りや山菜採りに夢中になっていました。

楽しい思い出は今も自分を楽しませてくれます。この時期の岩魚、山菜はどこに行けばいるのか、あるのかが知らず知らずのうちに分かる様になっていました。

 楽しんで身につけたものは、どんどん吸収出来ることに氣づきました。

 
 

四日市支店 徳  市子

 高槻市は京都と滋賀県に挟まれている所で、名物や土産物も少なく、私が小さい頃はすごく田舎でした。

 食べ物では、「たこ焼き」「明石焼き」「串揚げ(ソースに二度づけしてはだめ)」「えびせん」等をよく買ってもらいました。

 また、家から電車で10分程行くと、枚方市の「菊人形」があって、菊の季節には色々な物を作って全国に公開していました。

 高槻市は、雨も雪も少なく住みやすい所です。言葉は大阪弁ではなく、京都弁に近い優しい感じです。

 
 

三好支店 渡部 明信

 私は、四国の徳島で生まれ育ちました。

県外に出てしばらくは、自分は正しい言葉使いをしていると思っていました。

 標準語が何なのか分かった今では、阿波の言葉や方言が懐かしく、安らぎを感じます。

 「ほんまにな」→「ほんとうですか」、「ほうで〜」→「そうですか」など言葉のアクセントが柔らかいのが特徴です。

 
 
 

車輌部 江藤 博信

 私の生まれ育った田舎は、自然に囲まれた熊本県阿蘇一の宮町(いちのみやまち)です。

 九州の丁度真ん中辺りで、何処に行くのにも便利な所です。

「阿蘇山」が有名で、登山口までは車で5分ほどの所です。また、食べ物では阿蘇高菜の「高菜漬け」「からし蓮根」「馬刺し」が有名で美味しいです。

 子供の頃、夏は山で草すべりや川遊び。冬になるとカスミ網(今では禁止)で小鳥をつかまえたり、竹でスキーを作って滑って遊んだりした事(九州ですが沢山雪が降ります)が懐かしく思い出されます。

 
 

本社 経理部 足立 敏治

 今のJR中央本線勝川駅の南に位置する、春日井市松新町の2軒長屋に生まれ、小、中学校の時は野球少年でした。

 6歳の時にドラゴンズが日本一になった事は記憶にありませんが、私が大ファンであるドラゴンズが今年、念願の日本一になった事は、とても嬉しく感動しました。

 還暦を迎える年齢になった今年、久しぶりに中学時代の野球部の仲間と再会しました。思い出話に花が咲き、楽しく、懐かしいひと時を過ごすことができました。

 これからも元氣に熱狂的なドラゴンズファンを続けていきます。

 

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〜 今年も残りわずか、やり残したことや今年を意識して

やってきた事は何ですか? 〜

 
 

黒川支店 西田  廣

 今、団地のベランダでガーデニングを楽しんでいます。

以前、妻の実家から「金のなる木」をもらって育てた事がきっかけで、その木が数年前いっぱいの花を付けました。(本来、花はあまり咲かないそうです。)亡くなった親父さんが見たら喜ぶだろうなと思いました。

 昨年の秋、初めてチューリップを植えたのですが腐ってしまったり、芽が出なかったりしました。

 今年はいろいろな人に聞いたり、本を読んだりして、春には立派な花を咲かせ、自分と家族の心を和ませられるようにしたいです。

 
 

金山支店 藤岡  富夫

 私事ですが、最近娘が結婚しました。

前々から思っていたのですがこれを機に禁煙を一旦決意しました。というのも家でタバコを吸うのは娘が嫌がるからです。

 健康の為にも良くないので、いい機会だと思ったのですが、私に根性が無いためどうしても我慢ができず、イライラばかりしてしまいます。

 そこで本数を減らす事に変更しました。でも最初の決意だけは忘れない様、継続して行こうと思っています。

 
 

西春支店小牧営業所 石川 早苗

 私が小牧営業所に来て2年4ヶ月が過ぎました。

移動になる前はああでもない、こうでもないと不安いっぱいでしたが、新たな場所で、新たな多くの出会いがあり、私の考えがおかしいのかどうか聞いたり、どうおかしいのか教えてくれる仲間がいることがとても嬉しく思います。

 私は来年で60歳を迎えます。新たな人生に向け、今までの事を振り返り感謝し、自分の至らぬ点を認めることで、少しでも受けた恩を返せるように努めていきます。

 

港支店 野口  博行

 皆さんも趣味をお持ちの方は多いと思いますが、私も中学の頃からずっとギターを趣味でやっています。

 その他にも色々な楽器に挑戦してきました。中でも、5年程前から「ウクレレ」を作る事にはまっています。製作は思った以上に難しく、なかなか満足出来る物ができずいつも悔しい思いをしています。

 昨年末から一本製作中なので、今年中には満足のできる「ウクレレ」を完成させたいと思っています。

 
 

犬山支店 永田 和也

 最近すごく時間が過ぎるのが早いなあと感じます。

今年も年末が近づくにつれ、今年の自分はどうだったか、昨年の自分と何か変わったところがあったかを考えて見ても「あっ。」と言う間に一年が過ぎてしまったなあと頭をかしげます。

 自分にとって勉強会で教わる事や本を読む事は必要不可欠な事です。

あの時やっておけば良かったと後悔しても、今の自分は今までの自分が作ってきた結果。過去の自分を反省しつつ、もっと勉強の質と量を増やし、後悔しないように頑張ります。

 
 
 

中川支店 岩田  冨治男

 私は入社して約35年になります。この度11月20日で無事、定年を迎える事ができました。会社、支店の仲間、家族に支えられこれまで勤められた事に心より感謝いたします。

 昔と今の自分を比べてみると、今は口数も少なく若い人とのコミュニケーションがうまく取れず、何事にも逃げ腰になっている自分がいます。

ミスをした時、仲間がくれたアドバイスを素直に聞き入れられずに迷惑をかけた事、反省しています。

「強情は人生の敵」60歳を機に素直にやっていきます。

 
 
 

大高支店 杉浦 俊宏

 入社して2ヶ月、これだけは今年中にやる、やっておこうと思っている事は1つでも多く仕事を覚える事です。

48歳にして初めてドライバーという仕事につき、道も納品先も納品の仕方も、積み込み方も、会社、支店のルールも1から10まで分からない事ばかり。でもいつも丁寧に説明し教えてくれる支店の仲間達、積み込み先で手伝ってくれたり、色々教えてくれる他支店の仲間達。

早く仕事を覚え、早く恩返し出来る様に頑張ります。

 
 
 

岡崎支店 石原 弘次

 今年の夏から毎日、野菜ジュース、十六穀ごはん、滋養強壮剤(寝る前)を摂り続けています。

今年の夏、階段を登っていて、足取りは重く、息も途切れがち、疲れも抜けない日々でした。食生活のバランスを見直そうと、ドラッグストアに行った時、「栄養多彩」「疲れが抜けない体に」の文字に目を奪われ、色々購入し、それからずっと続いています。

 何事にも中途半端な私が続ける事で変化出来た事と、健康である事が何よりも変えがたく、嬉しい事です。

 
 
 

春日井支店 横山 幸男

 今回の冬はいつもの年より寒くなりそうです。

春日井支店では、トラックのチェーンを11月の早朝活動でチェックして車輌に載せました。特に鈴鹿山脈のふもとの四日市支店、伊吹山から雪が吹き付ける一宮営業所、犬山支店、春日井支店は朝の通勤時に雪が降り積もる所が多くなります。

その為に今すぐにでも冬用タイヤ、チェーン、手袋などを準備しましょう。私の住んでいる高蔵寺は春日井支店で降らなくても、家の近所は真っ白になる事があります。

 皆さんもトラックだけでなくマイカーへの準備を早めにしましょう。

 
 

四日市支店 葛原 博樹

 私が今年中にやりたい事、それは家族で日帰り旅行に行きたいのです。

今年の1月から計画していて今だに達成していません。昨年は岐阜の奥飛騨に行ったので、今度は長野方面に行きたいと思っています。

 しかし、私の仕事の都合や両親の予定がなかなか合わず残り1ヶ月になってしまいました。

 年末になり忙しくなると思いますが、両親との旅行は、なんとか達成したいと思います。

 
 

三好支店 加藤 秋夫

 港支店に入社して、砂田橋営業所から三好支店へと職場は変わり21年余り経ち、11月で定年を迎えました。

職種も乗務職員から流通職員へと変わりました。

 私には大宝に入社して大きな出来事が2つあります。1つは家を建て替えた事、もう1つは8月15日のお盆に仕事で静岡に向かう途中、中年の男女が乗ったライトバンと正面衝突し、相手の方が亡くなりました。後から心中だったと知らされましたが、その事は今でも頭の中に焼きついています。

 今は流通職員ですが、大宝から1件でも事故が起きないように努力していきます。

 
 
 

車輌部   小笠原 正俊

 「今の時を大切に」私も12月で満58歳になります。

20歳で入社し、38年になろうとしています。その間にたくさんの人との出会いがありました。上司、仲間、お客様との出会い。自分1人では何も出来ない事を教えて頂き、自分の無知さを知りました。

 人との出会いの大切さが自分の人生を大きく左右すると思います。

60歳という定年の節目まで2年、今生きていることに感謝し、人との出会いを大切にしながら今という時間を楽しくする努力をしていきます。

 
 

本社 営業推進本部 水野 忍

 ここ数年は本当に一年が経過するスピードが早く感じます。

今年で37歳になって私の所属する営業推進本部の中でも、部長達を除くと一番のベテランです。部内のとりまとめ役としてこの一年間、部内のメンバーを盛り上げて行こうと思って臨んできましたが、逆に元氣づけられる事も多く、まだまだ力不足の自分です。

 自分の問題課題に踏み込む事を多くの人の力を借りて取り組んできましたが、自分の役割や責任を果たすのであれば、仲間の何倍も学ぶ事が必要と捉え、取り組んで行きます。

 
 
 
 

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