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黒川支店 長谷川 功
父の商売を受け継ぎ、静岡へ配達に行ったある冬の寒い日、東名高速でオーバーヒートを起こしてしまい、赤塚サービスエリアで父に別のトラックを持ってきてくれるよう電話をしました。
荷物を積み替え私の方は無事に配送が終わりましたが、父はJAFを呼び、応急処置をしてもらった後、高速を降り、寒い思いをしながら低速でトボトボ帰ってきたそうです。そんな父も18年前に亡くなりました。
今でも赤塚サービスエリアを通るとその時の事を思い出し、「あの時はありがとう」という氣持ちになります。
金山支店 平尾 紀和
父との思い出は、よく近所の公園で野球(キャッチボール)をした事です。
父は子供相手でも、決して妥協はしませんでした。
例えば、暴投をすればボールを取りに行かされたり、投球フォームに文句を言ったり、ストライクを取るまで投げ込まされた事もありました。
大変でしたが充実もしていました。精神面、技術面でいろいろなことを学びました。それが今に活かされているかは微妙ですが・・・。
来年70歳になります。いつまでも元氣でいてほしいと思います。
西春支店 佐竹 大輔
私の父は10年前に肝臓を悪くして他界しました。
生前中は酒好きで家にいる時はいつも飲んでいました。毎晩のように飲みに行っている為、家に帰ってくる時間も遅く、休みの日曜日以外はほとんど顔を見る事はありませんでした。
最近父の同僚だった方に話を聞く機会があり、父は仕事にはとても真面目だったという事でした。
生きている間にもっと話をしておけばよかったと、今は後悔しています。
私の子供にはできる限り時間を作って話をしようと思います。
港支店 辻 祐樹
私の父は知多半島の南にある篠島という小さな島で漁師をしています。
父との思い出は、私が小学生の時一度だけ父の船に乗せてもらい漁に連れて行ってもらった事です。そのときに沖に流されないように、身体にロープをつけて泳いで遊んでいました。
今思えば、すごく危険なことをしていたと思います。
今でも父は船に乗っています。幼い頃には何とも思わなかったのですが、本当に大変な仕事だと思います。
ここまで育ててくれた父にとても感謝しています。
犬山支店 河合 逸郎
私が小学校1年生の時に、父に市内の映画館に連れて行ってもらった事があります。
映画の内容は全く覚えていないのですが、タイトルだけはハッキリと覚えています。それは「ターザン」です。リメイクで何回か放映される度に、何故父はこの作品を私に観せたかったのか不思議に思います。
父は宮崎に住んでいますが、今年の夏か来年のお正月にでも、田舎に帰って父に聞いてみようと思います。
中川支店 平和営業所 愛葉 豊
現在私は40歳、父は64歳、小さい頃父とどこかに出かけたということもなく、楽しい思い出も記憶にありません。
でも一番心に残っているのは、私が中学に入る前に父が一本の竹刀をくれたことです。これが剣道との出会いでした。剣道を通じて、礼儀、忍耐いろいろな事を教えていただきました。
何も言わない父の想いを、今やっとわかるような氣がします。これからも社会人として恥ずかしくない人間になっていきます。おとうさん有難う。
大高支店 大野三喜郎
つい先日他界しましたが、父は7人兄弟の長男として生まれ、父親代わりとして頑固一徹な性格を持った人でした。
兄弟の面倒見は良いのですが、私たち子供のしつけや教育は母親まかせで無関心でした。でも困った事があると、すぐに解決してくれる本当に頼りになる一家の大黒柱でその大きな存在感は見習うべき事だと思います。
今までの人生を振り返ってみても、父親との思い出は少なく、唯一幼い頃のキャッチボールと鳥羽への旅行が思い出されます。
岡崎支店 音羽営業所 坂本 京子
私が中学生だったある日、他の兄弟を差し置いて私だけを父がスケートに誘ってくれました。後にも先にも一度きりの父とのデート。
信州育ちの父はスキー、スケート、乗馬に長けていると自慢氣でした。
「えぇー本当かなー?」私の疑惑の目をよそに颯爽と風を切る父。
「へぇーやるじゃん!」となんだか嬉しく、誇らしい氣分でした。
そんな父も孫娘の顔見たさの帰宅途中、交通事故で他界。
なかなかお洒落で粋でステキな人だったナー。
もう一度くらいデートしてくれてもよかったのにー。
春日井支店 森山 篤哉
私と父との思い出は、小学校の時の夜の猛練習です。
私が町内や学校の運動会のリレーの選手に選ばれると、夜の運動場で速く走る練習が始まるのです。
父も幼い頃は走る事が大好きで、自分の昔を思い出し自慢をしていました。普段は厳しい父でしたが、この時だけは笑顔が絶えなかった事を思い出します。
今では歳を取るにつれ、足腰も弱くなってきましたが、身体に氣を付けて長生きしてほしいと思います。
四日市支店 後藤 孝教
私が幼い頃の父は、会社が休みの日は朝から酒を飲んで酔いつぶれていたので、とても尊敬できる人ではありませんでした。
こんな父親にはなりたくないと思っていましたが、父が定年を迎えた時、35年間無遅刻無欠勤で仕事をしていたことを知りました。
家族の為に黙々と働き、寡黙な父のストレスのはけ口は酒しかなかったんだなと思うと寂しくなりました。
そんな父を尊敬できなかった自分を反省し、今は感謝の氣持ちでいっぱいです。
三好支店 安徳いずみ
私の父は釣りが大好きで、子供の頃は兄と一緒に色々な場所へ連れていってもらいました。海や川へ毎週のように出かけ、自然に触れる機会をたくさん作ってもらったと思います。
大人になってからは一緒に行く事も無くなってしまいましたが、今でも数え切れない思い出が私の心の中に残っています。
そんな父は一昨年の12月に亡くなり、直接「ありがとう」と言う事はできませんが、今でもとても感謝しています。
おとうさん、思い出ありがとう。
車輌部 阿部 菊夫
父親との思い出を考えてみてもあまり浮かんできません。
ただ一つ、小学生の時に四日市へ海水浴に行った事があります。
私の家は農家で、朝早くから田畑へ出かけるので会話が少なかったのですが、父の性格はおとなしく、優しい人で私のわがままを聞いてくれていました。怒られた記憶もありません。氣付くと私も父のような性格にそっくりで、人に対して怒らない、自分の思っていることを素直に言えないでいます。
でもよく考えるとそれは自己中心な性格だと思う。
これからは勇氣を持って直していきます。
本社 営業推進本部 水野 忍
私が小学校低学年の頃、父は近くの空き地でキャッチボールの相手をよくしてくれました。
グローブを持って私がピッチャー、父がキャッチャーをしてくれたのですが、その時に「お父さんは昔、中日ドラゴンズのキャッチャーをしていたんだから、しっかり投げてこいよ」と言っていたのを、すっかり信じ込んだ私はよく学校の友達に、「うちのお父さんは・・・」と言っていた氣がします。父はそんな事はすっかり忘れているようですが、自分が子供とキャッチボールをする歳になって、ふと思い出す父との思い出です。
黒川支店 近藤 薫
人生の中でスタートラインは自分で決めて、自分自身で引くことは出来ます。学生から社会人、結婚、再就職、様々な場面で、自分が決めた時から再スタートの時です。
でもゴールまで行くには難しい事が多くあります。私も何度となく経験してきましたが、未だゴールした事はありません。
小さなことでも何でも少しずつ結果を出し、過去を振り返った時に満足出来たと思える事が自分のゴールと思い、一歩ずつ前進していきます。
金山支店 松下 卓
6年前までは、愛煙家であった。
当時金山支店の内田さんが、煙草をやめたと聞き「絶対やめれない」との確信から「一週間続いたら、俺もやめる」と公言してしまった。
優柔不断な九州人、引くに引けない氣質が思わぬ挑戦になってしまった。
落ちている吸殻を拾おうとする異常な行動等、苦しい日々が続いたがついに悪夢から開放され、達成感を感じる事ができた。
だが、食欲が旺盛になりメタボによる成人病が心配になってきた。
もしかしたら、この挑戦は失敗だったかも・・・?
西春支店 森田 斎
私が小学校の頃住んでいた町内では小学5年生から中学3年生までタスキをつなぐ駅伝があり、町内中がお祭り騒ぎになるほどのイベントだった。
その駅伝で小学5年生の私がアンカーを、兄は一番長い区間に抜擢され、2ヶ月前から猛練習。足が腫れ上がるほど一生懸命だった。
当日は周りの盛大な応援の中、兄はゴボウ抜きでトップになり、プレッシャーがかかるタスキを受け、結果優勝のテープを切った。
それまでの努力があったからこそだった。
港支店 柳 信義
前職で住宅リフォームの仕事をしていた時の事です。
50人位いる社員の中で毎月の順位が出るのですが、入社3年目の時、支店長が中部地区の全体朝礼で、「今月は柳にトップを取らせます」と言い切ったのです。
その時は「この人は何を言っているんだ」と思いましたが、不思議なものでそう言われると、一度位1番を取りたいと思うようになりました。
それまでは適当に仕事をしていましたが、それをきっかけに一生懸命に取り組み、結果本当に全店トップを取る事ができました。
あの時が営業の仕事での私のゴールです。
犬山支店 舟橋 耕司
一人暮らしを始めたのは30年程前、コンビニなんて無い頃、外食ばかりではお金がもたず当然自炊をしていました。
料理は嫌いではなかったのですが、10代でスーパーに買い物に行くのは恥ずかしいものがありました。3日も4日もカレーだったり、給料前は1週間インスタントラーメンだったりしました。
「鉄人」の域には達しませんがマカロニサラダは得意でした。
結婚をして一人暮らしにはゴールしましたが、昔を思い出して家族に手料理を作ってみようかな・・・?
中川支店 谷口 将人
私は昨年の今頃、身長171cm・体重73kgでした。
そんな脂肪まみれの締まりの無い身体に嫌氣が差し、減量する事を決意しました。ちょうどその頃「ビリーズブートキャンプ」が流行り始め、今の私にもってこいだと思い、やり始めました。
さすがに短期集中プログラムだけあって、なかなかハードなもので周りで始めた人達は次々に脱落していきました。
でも私は諦めずやり続けたおかげで、今は62kgになり、11kgの減量に成功しました。ビクトリー!
大高支店 坂本 浩二
今年になり決意し挑戦した事は、年明けそうそうから小学4年生の息子と2人で近くの大蔵池公園をジョギングする事です。
仕事が早く終わった時に、健康と体力づくりの為に始め、3月まで頑張っていました。
最初に音をあげたのが息子だったので、「おまえはしょぼいなぁ」、「オレは決め事は守る男だ!」と勝ち誇っていたのですが、私もだんだん1日おきになり、2日おきになり・・・・、とうとう挫折してしまいました。
これから暑い夏が過ぎるのを待って涼しい秋になったらまた挑戦しようと思っています。
岡崎支店 冨田 隆生
一度痩せたいと思い、スポーツクラブに入ったり、食事を制限したりして一時痩せる事ができましたが、無理があった為、長続きせずリバウンドでまた太ってしまいました。
でも、今度は無理をしないで長い時間をかけて痩せていけるように再チャレンジをしたいと思います。
そして健康状態を良好にして、長く働ける身体を作っていきます。
春日井支店 永井 幹大
私の自慢のゴールは、危険物取扱免許の取得です。
以前は小池班長が取得をしていて給油所の管理をされていました。小池班長が定年退職され、代わりにと声をかけてもらいました。
軽い氣持ちで引き受けましたが、周りの人の話を聞いたり、参考書を見て大変さに氣づきました。
しかし、谷川副支店長が、「合格したら、焼肉をおごってやる」と言われたので、一生懸命がんばる事ができました。
今、考えると自分の単純さと馬鹿さにあきれてしまいます。
四日市支店 近藤 実
健康に氣を付けている私は、生まれて一度もタバコを吸った事はありません。
体温と血圧の2つを毎日測定し記録して変化に注意しています。
そんな私ですが毎日の暴飲暴食のせいで最近よく言われるメタボ体型、つまり肥満体型になっています。
当然身体には良くないので、標準体型になるようにダイエットをしようと思っています。
三好支店 深来 正昭
私は小さい時から、父に「物事は途中でやめるな」と強く言われてきました。兄が大学を中退した時も、高校に入学してラグビー部を選択した時も「俺は絶対に最後までやり通すぞ」と思いました。
当たり前の事ですが、途中で諦めず継続する事がゴールにつながる事を強く感じています。
一つのゴールは、新たなスタートであり、継続していく事、諦めない事をゴールに向かう原動力にしていきます。
車輌部 久保田紀之
大宝運輸に入社し、整備士や検査員などいろいろな免許を取得させていただきました。
4年前にCNG車輌の導入とスタンド設備計画で高圧ガス(丙種特別化学)の試験を受けるに当たり、図書館に行ったり、食事時間や寝る前に勉強をするなど、学生時代では考えられないほど真面目に取り組みました。
その甲斐あってなんとか合格、短期間の勉強でしたがやれば出来ると思いました。
今後は自分の人生を幸せにできるよう学び、毎日を大切に生きていきます。
本社 取締役営業開発部長 木戸 泰幸
私の52年の人生の中で、これと言って何かに打ち込んだという経験は恥ずかしながらありません。
少しほめられるとすぐその氣になって習い始めたり、練習するのですが、長続きしませんでした。
学生時代には、習字、水泳、中距離走、管楽器など・・・。
4年前にも初心者用のクラリネットを購入し練習し始めましたが、これも半年でお手上げになりました。
無芸大食で終わりたくないと思うので、何か極める目標を見出し、取り組んでいきます。
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