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小学生の頃となると40余年前。その頃親は、朝早くから夜遅くまで仕事をしていたので親と休日を過ごす事はほとんどなかったように思います。
私たち子供は、兄弟や友人と野球をしたり、釣りをしたりして夕暮れまで遊んでいました。GWという言葉は、その頃なかったと思います。
連休の思い出は、魚釣りで祖父から仕掛けの作り方、ハリの結び方、糸の網ぎ方、エサの事、魚の事、釣り方のテクニックを教わりました。連休中毎日魚釣りに行って、アジやイサキを沢山釣りました。
その後何度も釣りに行っていますが、その時学んだ事は、今も忘れずに思い出として残っています。
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子供の頃は、家族と日帰りでどこかに出掛ける事がすごく楽しみでした。
日帰り旅行でしたが、静岡方面へ苺狩りに行って、兄弟で苺の食べ比べを競争したことが思い出に残っています。帰り道、高速道路で渋滞にハマッてしまい、車内で兄弟ゲンカになってしまいました。
その頃は、たわいもないことでよく兄弟と口ゲンカをしました。今も渋滞にハマるとイライラする時がありますが、そんな時は心を落ち着け、どんな時にも冷静に運転できるようにしています。
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大人もそうですが、子供にとってGWという大型連休は、どこかに出掛ける楽しみと期待にワクワクするものです。
数々の思い出の中で、初めて釣りに行った時のことを思い出します。釣りに行った場所は名古屋港と近場でしたが、初めて自分で魚を釣ったという子供ながらの自慢、釣った魚はハゼで、家に持ち帰り母親に天ぷらにしてもらいました。自分で釣った魚だと家族に自慢氣に話しながら、おいしく食べたのを思い出します。これといって特別な事をしなくても、子供の頃の思い出はずっと残るものです。
今年生まれた息子にも、楽しいGWの思い出ができる様に、これからも家族で楽しんでいきます。
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私のゴールデンウィークの思い出は、サッカーの合宿です。
小学校3年から中学校3年まで、毎日サッカーボールを追いかけていました。試合で活躍したいので、休まず練習した事を覚えています。合宿は修学旅行みたいで、毎年わくわくしていました。
学生の頃にはサッカー一筋で頑張った結果、一度だけ県大会で3位になりました。あの時の感動と、仲間と笑い合った時間は生涯忘れることはありません。もうすぐ父親になります。奥さんと生まれてくる子供の為に、仕事も頑張ります。
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「ゴールデンウィーク」私が子供だった頃には、まだこんな洒落た呼ばれ方はされていませんでした。(私が知らなかっただけかもしれませんが・・・)
高度成長期のど真ん中、田舎の「昭和のガキ」を地味にエンジョイしていただけの時期でしたが、一つだけ思い出があります。
39年前1970年の大阪万博です。当時は小学2年生だったのですが、日本館の「リニアモーターカー」、アメリカ館の「月の石」、三菱未来館に松下館、動く歩道に太陽の塔、書き始めるとキリがありませんが、子供ながらに自分達が大人になった時の科学の進歩に目をキラキラさせ、胸をワクワクさせていたのを、今でも鮮明に覚えています。
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僕の子供の頃のゴールデンウィークの思い出は、家族みんなで知多に潮干狩りに行ったことです。
僕はバカ貝とあさりの違いが分からなくて、お父さんに教えてもらい、それからあさりをたくさん採りました。そして家族みんなで採ったあさりを、家で味噌汁や酒蒸しにして食べました。それから潮干狩りは、毎年恒例の行事になりました。
今は自分の家族を持ち、子供も昨年生まれたので、今年はみんなで潮干狩りに行きたいと思っています。
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子供の頃のゴールデンウィークの思い出を振り返ってみると、親に蒲郡にある「こどもの国」に連れて行ってもらった事があります。
こどもの国には、広い芝生の広場や汽車などがあって、子供にとって最高の場所です。男4人で育った僕たち兄弟も楽しく、はしゃぐ事のできる場所でした。僕も結婚して、いつか生まれてくるだろう自分の子供も、この「こどもの国」に連れていってやりたいと思います。
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ゴールデンウィークの思い出がなかなか思い出せず、母親に聞いたところ「覚えてないなら、あんたをあちこち連れていかんでもよかったわ」と言われてしまいました。
でもいろいろと教えてもらうと、小学校の頃インスタントラーメンが好きだった私は、キャンプに連れて行ってもらったときに、せっかく作った料理を食べずに万が一のために用意していたインスタントラーメンが食べたいとわがままを言い、一人でインスタントラーメンを食べていたそうです。
今にして思うと本当に申し訳ないことをしました。
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40年も前の事ですが、私が小学生の頃、地区の子供会で御在所岳と湯の山温泉に行った事があります。
四日市駅から電車に乗って、終点の湯の山温泉で下車し、バスに乗り換え御在所ロープウエー乗り場へ。(山頂までは10分位だったと思いますが、とても長く感じた氣がします)
湯の山鹿の湯ホテルのお風呂はとても氣持ち良かったのを思い出します。
中学生の頃にも2回ほど登山道を歩いて行った事もあります。その後結婚し、子供たちが小学校の高学年になった頃、ボーイスカウトでも行きました。
どれもとても良い思い出です。最近は忙しい毎日ですが、また家族で御在所へ行きたいと思います。みなさんも三重県に遊びに来てください。
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僕は、この地域では言いにくいのですが、中学生の頃からプロ野球「読売ジャイアンツ」を応援する為に、ほぼ毎試合球場に行っていました。
GW中の約10日間は、ほとんど東京ドームで開催されるため、自分が東京の住民になってしまったかと間違えるぐらい行っていました。
一番の思い出は、平成5年5月2日、対ヤクルト戦で当時18歳で新人の松井秀喜選手が高津投手から鮮やかにライトスタンド上段へ打ち返した、プロ初ホームランを見た事です。その時の打球の速さには、かなり驚かされました。その後、松井選手の数多くのホームランを見届けましたが、その中でも特に強く印象に残っています。
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GWだったのか、そうでなかったのか覚えはありませんが、小学生の頃、蒲郡の竹島に家族でドライブに行った事があります。
竹島に続く橋を渡ると、岩場には小魚やカニ、貝、ヤドカリなど海辺の生物がたくさんいて、妹と二人で夢中になって採っていました。
最初はおとなしく採っていたのですが、段々石を投げて水しぶきをかけたり、岩場を走ったり、飛び回ったりするようになりました。ふざけているうちに私が一段高い岩場で足を滑らせ、海に転落。幸い腰くらいの深さだったので溺れる事はありませんでしたが、全身ズブ濡れになってしまい、それを見ていた親父に大目玉をくらい、着替えも持っていなかったので、他にどこにも寄らず早々に家に帰ってきました。懐しい思い出です。
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私のGWの思い出は、専門学校の時の事です。
当時私は、中日ドラゴンズの私設応援団に入っていました。その為ナゴヤ球場の試合は全試合、観戦に行っていましたが、ある年のGWに食中毒になってしまい観戦に行けない状態になってしまいました。しかし、無理をしてナゴヤ球場に行きました。もちろん野球を観る余裕もなく、球場のトイレに居た時間のほうが長かった思い出が・・・。(汚い話ですみません)
先日、久しぶりにナゴヤ球場に行ってきました。
大島選手の打球がダイレクトで頭に当り、医務室に運ばれた事や、ドラゴンズの優勝、色々な選手の引退など、今でも当時の事を色々思い出します。
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