黒川支店 柴田  大(だい)

 雨の日は、仕事でも休みでも楽しく過ごすようにしています。

雨の日は、排気ガス等の嫌な匂いが消えて氣持ちが軽くなります。そのため休みの日でも散歩に出掛けたりします。いつもと同じ道でも周りの音が違ったり、明るさが違ったりして新鮮な氣持ちになります。

 仕事の日でも前日から準備する事で、子供が遠足に行く時の様な氣分で向かいます。仕事中でも氣持ちにゆとりを持つ事が出来、前向きに取り組めます。私にとって雨の日は、嫌な日ではなく、氣持ちの切り替えが出来る大切な日です。

 

金山支店 平尾 紀和

 主な雨の日の過ごし方ですが、私の場合 DVD鑑賞をしています。

正確には天候に関係なく休みの日は、ほとんどDVD鑑賞をしていますが…。

 私の大好きなジャンルは、SFやアクション物で、毎回まるで子供に戻ったみたいにワクワクしながら観ています。よく利用するレンタル屋さんは、料金も安く、家からそんなに遠くないので助かっています。

 これからも趣味として、ずっと続けていきたいと思っています。

 

西春支店 奥田 智也

 私は雨降りの日は、氣分転換にスーパー銭湯に行きます。

昔の銭湯と違い、今は源泉をタンクローリーなどで運んでいるので、週替わりや日替わりで現地に行かなくても楽しめます。サウナ、ジェットバス、電気風呂、露天風呂、また銭湯によっては、歩行風呂、岩盤浴があったりするので、どんなお風呂があるのか調べて行くのも良いです。

マッサージ店、床屋、軽食もあるので時間の調整も出来ます。

銭湯は人との出会いの場でもあるので、他人と話す事が容易に出来ます。 

 雨降りの露天風呂は、一味違った雰囲氣が楽しめますよ。


港支店 木ノ下 忠雄

 雨の日は、子供達とトランプやカルタをして遊んでいます。

テレビゲームも良いのですが、トランプやカルタの方が子供達との会話が弾み、私も楽しい時間を過ごせます。

あとは家族で買い物に出掛けます。子供達が動物好きなので、ペットショップにもよく立ち寄ります。動物たちと遊んでいる家族を見ていると、何だか幸せを感じます。

 これからも家族を大切にしていきます。

 

犬山支店 林 実司(じつじ)

 雨の日は家の中でのんびりする事を第一に考えています。

朝はゆっくり起き、好きな物を食べて、DVD鑑賞等で家族との共通の話題を持つ事でコミュニケーションをとり、心も身体もリフレッシュします。

また、一日何もせずに次の日からの英氣を養う事も大切だと思います。

雨の日は嫌なイメージもあると思いますが、雨の日の休日だからこそ、心身共にリフレッシュできる時間が必要だと私は思います。

 

中川支店 須田 大基

  雨の種類にもよりますが、天気図で長い前線が太平洋に伸びている時は、海の沖合に風が出る影響で、ビーチに波が立つので、その波でサーフィンをする事が私の雨の日の過ごし方です。

周りの人には、雨なのに海に入ってバカじゃないのと言われますが、このような雨や台風など一般的に悪条件の時こそ波が立ち、楽しくサーフィンが出来るのです。

海に入って濡れているから、雨に当たっても一緒という事もあります。

 サーフィンは他のスポーツと違い、雨の日でも得をするスポーツなので、雨の日でも私は暇をした事がありません。

 

大高支店 伊坪 昇

 雨降りの休日は、晩ご飯を作ります。

カレーを作る時は、その日の氣分で、和牛のスネ、豚肩ロース、バラ、鶏肉等を使って作ります。それに、ご飯やナン、スパゲッティ等を用意します。

肉の材料によって煮込み時間を変えます。

 出来上がったら、一旦火を止めて、水で鍋底を冷やしておきます。そして食べる前に温めて、家族や友人に連絡をして、ワイワイ言いながら、みんなで美味しい食事をすると、とてもハッピーになります。

 

岡崎支店 渡辺 正俊(こうすけ)

 私の家には、小学校3年生になる子供がいます。

アニメのドラゴンボールの影響をうけて、闘いごっこをやりますが、小学校3年生にもなると、けっこういいパンチを打ってきて、まともに受けると痛いです。そんな時には子供にも技をかけ、痛さを教えます。

5分もやっていると汗をかき運動の代わりになります。そして闘いが終わると、スポーツゲームをやります。

自然にルールを覚え、分からないと聞いてくるので、親子のコミュニケーションもとれます。

 

春日井支店 副支店長 谷川 光史(みつし)

 休日が雨になると、堂々と朝寝坊をするのが私の楽しみでした。

最近は雨が降って買い物がおっくうになるのをいい事に、冷蔵庫の中にある限られた食材を使って料理をする様になりました。

試行錯誤しながら一所懸命作り、意外な組み合わせの料理が美味しく出来た時は、雨の日の憂うつな氣分がどこかに吹き飛んでしまいます。

 こうして日頃の張り詰めた氣持ちがほぐれてくると、雨の日も悪くないなと思ったりします。

 

四日市支店 徳 正重

 私は休日の布団の中から聞く雨音が好きです。

幼い頃、何か大きな出来事が起こると、いつも雨でした。「怒った雨」「大泣きの雨」「やさしい雨」、よく雨に濡れていたなぁ。

雨が降ると、母の仕事が休みになるので嬉しかったなぁ。どれもこれも昔の話ですが…。今はと言うと、野球ですら室内で出来るし、色々なスポーツのプレーも観戦も出来るので、雨といっても退屈しませんね。

 私ですか?雨の日は体力補充の為、ひらすら体を休める事に力を入れています。ハイ!

 

三好支店 三浦 誠

 私は、高校時代から機械いじりが好きで、特にバイクの古い物をもらったり、買って来ては分解し、また組み立てたりする事が好きです。

壊れて動かないものを磨いて、色を塗り、何ヶ月もかけて組み立てたバイクのエンジンがかかる瞬間は、とても達成感があります。

ネジ一本から取り替え、磨き、苦労したものが動き出すのが快感で、やめられません。

 

本社情報システム室 野口 陽子  

 「雨の日に室内で出来る楽しみ」と言えばパッチワーク。

たくさんの端切れを縫い合わせて1枚の布を作り、その布を使ってタペストリーなどを作ります。

今までに作った作品は、壁掛け、クッションカバーなど。また、友人と共同で製作したベビーキルトを、お祝いにプレゼントしたこともありました。

 写真は、私が初めて作った壁掛けで太陽をモチーフにした大作です。

配色を考えたり、日に日に形になっていく過程が楽しくてワクワクしますよ。

 

車輌 成田 一彦

 休日に朝から雨が降っていると、私は元氣になります。

なぜなら、晴れている時の行動とは異なるからです。

朝いつもの休日と同じ時間に起きて、まずトイレに駆け込みます。

用を足してから2度寝をします。これがまた氣持ち良く,自分の世界、夢の中へ突入です。でも、それはつかの間の出来事で、妻に起こされ雨の中、相合い傘で出かけます。

 出かける先は、自宅近くの紅茶の美味しい喫茶店、白いお皿にモーニングサービス、そして窓の外は雨。のんびりします。

 

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黒川支店  加治 孝升(たかのり)

 父が亡くなって20年近くなります。

あまり覚えていないのですが「人に迷惑をかけるな」「家族を大事にしなさい」と、幼い頃からよく言われました。

父が亡くなる前「しっかり地に足をつけ生きてゆけ」と、自分の目を見て言った最後の言葉が未だ忘れられません。当時、「自分は自分だ」と父に反発していました。父が最後に言ってくれた言葉に対して、今の自分はどうなのか考えてみると、日々流されて、ただ生きてきた事に氣づきました。

 もし父が生きていて、大人になった自分を見て何と思うのだろうか?また悩んで落ち込んだ時、何と言ってくれるのだろうか、父の言葉を聞きたいと思っています。

 

金山支店 松下 卓(たかし)

 父が79歳で亡くなってから、もう14年になる。

戦争を体験したいわゆる職業軍人で厳格そのものの人だった。

でもどんなに叱られても殴られた記憶は兄弟3人共一度もない。ただ居るだけで存在感があった反面、心優しさも兼ね備えていたので、決して嫌いではなく、むしろ大好きだった。

常日頃「母親の言う事は絶対に聞きなさい」「弱い者をいじめるな」「嘘をつくな」と口酸っぱく言われてきた。その中で本当の優しさとは何かを自然に教えてくれたような氣がする。

高校を卒業した時「これからの自分の生き方は、自分で決めろ」と一言。

今思うと喜びより責任と不安の方が大きかった。私も親となり、父が教えてくれた思いを子供に伝えています。

 

西春支店 小木曽 真司

 父と私は、特に仲が悪いわけではありませんが、すれ違いの生活が多いため、父から特別な言葉をもらった記憶はありません。

ただ私に直接かけてくれた言葉ではありませんが、とても印象に残っている言葉があります。父の父、つまり私の祖父が亡くなった時、初めて父の泣き崩れる姿を見ました。

その時の父の言葉「親孝行してやれなくてゴメン。もっともっと幸せに過ごさせてあげたかった」。

 時々思い出しては、私も家族について考えています。

 

港支店 岩井 友宏

 私の父は、この5月で還暦を迎えました。時間の経つ早さを身に染みて感じます。

父は、コンピューターソフト関連会社に長年勤めて家族を支えてくれました。経済的に苦しくても、家族楽しく過ごしていました。

私は小さい頃から勉強が苦手で、父を悩ませていました。高校受験の時、志望校受験が難しく諦めた方がいいのかと悩んでいた時、父から「諦めずに、合格できるよう頑張れ」と励まされ、私も一所懸命勉強し無事志望校に合格する事が出来ました。

 あの時の父の言葉がなければ、今の私は無かったかもしれません。苦手な事でも最後まで諦めないで頑張る事を教えてくれた父に感謝の氣持ちでいっぱいです。

 

犬山支店 飛田 育久

 私が父親の影響を一番受けたのは、小学校に入学した頃で、当時父は岡崎市の市議会議員で、入学式の来賓で祝辞を述べていました。

私は息子として、人の前で正々堂々と話をする事を教えてもらいました。

私にとって父親は、全ての面に於いて目標であり、教師である為、多くの助言をもらいました。

 就職してからは、立場での話し方を教えてもらったのですが、その中で今も頭に残っている事は「怒るのと、叱るのは違う。怒っていては人を潰してしまうが、叱るのは人を成長させる」という教えです。

 今後もこの父親の教えを守って行動していきます。

 

中川支店 原田 裕樹

 小さな頃から父が恐かった私は、父の言う事は何でも聞いていたというより、言う通りにしてきました。

小学校の時ソフトボールクラブに入ったのですが、球技が得意ではない私は、いつもコーチに怒られていました。

そんな時、付き添いで来ていた父に助けを求めようとして、父の方を見ても何も言ってくれず放って置かれました。

何も言ってくれない父に「何で助けてくれないの?」と聞くと「何でも助けてもらってはダメだ。自分でどうするか考えないとダメだぞ」と言われ、自分が甘えていた事に氣づき、時には父のように厳しくする事が大切だという事を教わった氣がします。

 

大高支店 早川 隆之

 2年前に他界した父は、なんでも器用に出来、誰にでも優しく滅多に怒らない人でした。

子供の頃から大勢の弟や妹達の面倒を見て、料理や大工仕事など家の事も親に代わってやってきたそうです。

 料理店を経営していた父は、誰にでも本当に優しく、僕自身も滅多に怒られた事がなく、手を上げられたことは一度もありませんでした。

そんな父を物心つく頃から見てきて、人に対していつも優しく接していれば、周りの人達も悪い事を言うこともなく、幸せに生活できるんだ、ということを父が亡くなるまで教わった事が何よりも父を誇りに思うし、尊敬する所です。

 

岡崎支店 仲井 雅之

  私が子供の頃の父は、朝早くから夜遅くまで一所懸命働く忙しい人でした。でもそんな忙しい中、私達家族を旅行に連れて行ってくれたり、自転車の乗り方を教えてくれたりと、家族の事を大切にしてくれていました。私も学校を卒業して、社会人となり、結婚して家族を持ちました。

 今思い返してみると、父は口ではあまりうるさく言いませんでしたが、自分自身の働く背中を私達子供に見せる事によって、働くことの大変さや大切さなどを教えてくれていたのかもしれません。

 

春日井支店 飯田 正行

 私の父は床屋をやっていて、私が小さい頃はなかなか、かまってもらう事はありませんでした。

そのため、遊びも勉強も強制されることなく、私の自由にさせてもらえたと思います。しかし自由と一緒に責任があることをよく教えてもらい、自分に責任を持って行動するようにと、言い聞かされました。

 私も今年で59歳になりました。今思うと床屋を50年近くもやってきた父をとても誇らしく思い、一所懸命続けることのすごさと大切さを感じます。

 これからも父を見習い一所懸命頑張っていきます。

 

四日市支店 小野 友良

 私の父は、働くことがすべての様な人です。

父がのんびりしている所を、私は見たことがありません。

家族のために働き、今は病院と家を行ったり来たりの生活をしています。 

父が私の今の年齢の時どんな氣持ちでいたのか、今私も少し分かる氣がします。働くことが人間として一番大切で、家族を守らなければいけないということを無言で父に教えてもらいました。

 健康に注意して、元氣に大宝で働いていきたいと思います。

仕事に仲間に支えられていることに感謝します。


三好支店 伊藤 操(みさお)

 私が小学校の時、ささいな事でクラスの女の子に手を上げてしまった事がありました。

その事で、先生にひどく怒られ、何度も何度も殴られて、泣きながら家に帰りました。その晩父が帰宅し、当然叱られると思っていましたが、違いました。「女の子は弱いから、絶対に手を出すな」と言われ、子供心ながらに納得し、反省した覚えがあります。この事に関しては、今も守っています。 

 他にも数々のトラブルを起こす度に、道標を作ってくれましたが、「最後の決断は自分自身で…。」と教えられている氣がします。


本 社 営業推進本部 落合 正春

 父は宮崎県生まれの九州男児、仕事は塗装業、いわゆるペンキ屋さんです。

子供の頃、姉とよく父の腕にぶら下がり喜んでいた事を思い出します。私が20歳の頃、兄弟3人と父、職人さんの5人で仕事をしていました。

三男の私が任されていた事は、兄達にあれ持って来い、これ持って来いと、もっぱら小僧仕事で、やる氣もなく、仕方なくやっていました。

 ある日父と二人で仕事をした時、「いいか、仕事にはコツがある」とハケを片手に手際良く塗りながら「お前はもっと欲を持て、欲を出せ」と言われました。

 今考えると、仕事は自分で考え行動してコツをつかみ、やり遂げるという思いを持つことが大切で、「欲を持て」と言われたのだと思います。これは仕事が変わっても同じだと考えます。


車輌部 芳井 秀晶(ひであき)

 父は日本が敗戦した時、今の中国に居て旧ソ連軍にシベリアにある捕虜収容所に連行されたそうです。

そこでは、毛布1枚、食事も黒パン少量しか与えてもらえず、強制労働で仲間が1人また1人と飢餓と寒さで亡くなっていく中、父はなんとか生き残り現在に至っています。という訳で私が小学生の頃、山や川でマムシやその他の小動物の捕らえ方などを色々教えてもらいましたが、今となっては、ほとんど忘れてしまいました。

山の中は特大のムカデや氣味悪い虫のオンパレード、川に行けば足を滑らせ、氣が付けば水の中、ということがあり、自然はあまり好きではありません。

 今考えれば小学生をマムシのいる場所へ連れて行く父親もどうかと思いますが、その当時はそれなりにタメになりました。

 
 
 

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