自分に起こる事に対して、「自分はどうなるのか」そう考えてきた。
物語を読んでいるように、自分の行く末を自分自身が観客のように評論している。高校生の頃が最初だったか。「流されて何となくこうなって行くんだ」「そうなってしまうのは仕方がない」「それは俺のせいじゃないから」・・・。
自分に責任はない、そう思うことが何となく心の安らぎになっていた。無意識の被害者になることで中途半端に逃れてきたと思う。
その発端はどこにあるのかと考えてみると、いろんな要因がある中で、やはり親との関係が大きいのだという答えにたどり着く。自分がいろんなことを許容され、心配をかけてきたのに氣づかず、流されていると思っていた。
自分を取り巻く多くの人や、もの事に「生かされている」ということ。その事に氣づけなかった自分から出てくる考えが、他人任せの「自分はどうなるのか」だった。
10年後、20年後の結果は自分持ち。
「どうなるのか?」ではなく、「どうありたい」「どうしたいのか」という意を入れて、自分自身の人生を活かして行きたい。
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