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テーマとは、少し違いますが、もう随分前の事、刈谷から安城方面に車を走らせていたが、どうも腹の具合がおかしい。
時折急激な腹痛が襲ってくる。「一刻も早くトイレにいかなくては」そんな思いで東刈谷駅前に車を止めたが、なんとトイレは2階。
定期的にやって来る痛みに耐え、ようやく辿り着き大急ぎで用を足したが、ほっとしたのもつかの間、辺りを見回しても紙がない。
ここは最後の手段で、自分の下着を使い用を済ませました。
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中学生の頃、同じクラスの同級生5人程で「銭湯に行こまい」となり、銭湯に行きました。(今のスーパー銭湯と違い、娯楽施設は全く無く、湯舟につかってリフレッシュするだけの所でした)
翌日銭湯に行った仲間と話をしていた時、私が「ぜにゆの湯は最高だな」と言っていたら
友人に「はぁ?ぜにゆの湯ってどういう事?意味が分からん」と言われ、その中の一人が「ぜにゆと漢字で書いて“せんとう”って読むんだわ」
「・・・」超赤面でした。
この件が最近の事だったら恥ずかしさは倍増していた事でしょう。
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昔、健康ランドに友達と行った時の話です。
着いてすぐにお風呂に入ったのですが、友達は先に出て行きました。
30分後、私もお風呂を出て友達の姿を探しましたが見つからず、やっと休憩室のソファーに寝ている友達を見つけました。
友達はメガネを掛けていて、ソファーの横の棚にメガネがあったので友達だと思い込み、頭を叩いたら、全く違う人でした。
とても恥ずかしかったし、その人にも迷惑をかけ、本当に恥ずかしい思い出です。
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小学校の修学旅行で奈良公園に行った時に、鹿にエサをあげようとしてしゃがんだ時、持っていたナップザックを鹿に奪われてしまいました。
必死で返して貰おうと格闘していたら、別の鹿がやって来て、私のお尻に角を刺してきました。
ズボンが破れてパンツが丸見えの状態になり、しかも鹿にナップザックが引っ掛かっているのが珍しいせいか、近くにいた人達が集まって来て、私のパンツを大勢の人に見られるはめになりました。
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私の恥ずかしかった思い出は、つい最近までお店の名前を勘違いしていた事です。その店の名前とは、皆さんも知っていると思いますが、ラーメンチェーン店の「来来亭(らいらいてい)」です。
お昼に嫁さんと子供と一緒にラーメン屋さんに行こうと「来来来(らいらいらい)に行こう」と言ったのですが、嫁さんに通じず話しているうちに「来来亭じゃないの?」と言われ初めて氣づきました。
運転をしていたのですが、ものすごく恥ずかしくて動揺が隠せませんでした。でも他の人に言われなくて良かったです。
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私の恥ずかしかった思い出は、保育園の年長まで「左」と「右」が分からなかった事です。
一般的に、はしを持つ手が右と教わると思いますが、いつも「左」「右」がどちらか分からなくなっていました。
保育園での最後の運動会の時に旗を持って行進する遊戯をする時に、私が一番先頭で行進する事になり、「左」と「右」をいろいろな形で先生が教えてくれた記憶があります。
「左」と「右」はこの先、小学校の時まで勘違いする事になりました。
今はちゃんと分かりますよ。
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「ふるさと」という歌の歌詞に「ウサギおいし、かの山」とあります。
それを私は、おいしいウサギだと思っていて、友人と話をしていた時に「ウサギを食べた事があるけれど、ニワトリのササミみたいで特別おいしいって事もなかったよ、あの歌のウサギのおいしい山ってどこだろうね」と言ったところ、友人に「美味しいじゃなくて、追いしだよ」と言われて自分が間違えていた事に氣付き恥ずかしい思いをしました。
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今から3年位前、和合塾のグループの集まりで平和営業所に行くことになりました。特に詳しく調べずに乗務職員の人に聞いた「看板がある」という言葉を信じ、出発しました。
しかしどこまで行っても看板が見つけられず、結局30分位迷ったあげく、近くのコンビニまで迎えに来てもらいました。
帰りもみんなの心配をよそに「大丈夫」と言って帰りましたが、結局迷ってしまいました。正直、今も平和営業所の場所は分かりません。
次行く時は、しっかり調べて行くようにします。
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お通夜や告別式に似合うものは「涙」です。「笑い声」や「笑顔」は禁物でしょう。
20数年前、私は告別式の受付の係を任されました。弔問客も個人や団体、そして団体の代表等、多数の参列者がありました。
受付の仕事は弔問客から香典等を受け取り、礼状や粗供養品を渡す事でした。ある団体の代表の老人に対して、私は必要な礼状の数を聞こうと「おいくつですか?」と言うと、その方は「65です。」隣で笑い声が・・・。
あーあーやってしまった。
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46年前の小学校の冬休みの話ですが、田舎は農家で、その時代は畑の近くには肥溜めがあり、私たちもよく運びました。
雪の積もったある日、私は畑を後ろ向きに走って凧上げをしていましたが、目の前が突然真っ暗になりました。そうです、壺の中に落ちてしまったのです。近所の大勢の人から差し出された棒にしがみついて助けて頂きましたが、その時の恥ずかしさは、今も記憶にあります。
壺の深さは2メートル程ありました。
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皆さんは職業柄、毎日運行している車輌の事はご存知ですか。
異常発生時に応急処置を出来ずとも修理依頼時に整備の方に正しい情報を伝えれるようになりたいものですね。
私が以前勤めていた運輸会社で自動車部品の配送をしていた時の事ですが、納品先で荷役中に協力会社の女性が近寄ってきて、4t車のキャブを上げてほしいと頼まれました。
車輌に行き、ロックを外してイザと思ったのですが、重くて上がらず恥ずかしい思いをしました。
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私は、人生を61年やらせてもらっていますが、ごく最近、自分が勘違いしていた事を知り、恥ずかしいというか、滑稽な思いをしました。
皆さんもよくご存知のカリフラワーに似た緑色の野菜「ブロッコリー」ですが、私は指摘されるまで「ブロッコリン」と呼んでいました。
テレビでも「ゆうこりん」など名前の後ろに「りん」を付けて親しげな呼び方をするのが流行っていますが、そのルーツがブロッコリンだと思い込んでいました。
でも、湯がいた新鮮なブロッコリーにマヨネーズをたっぷり付けて食べるのは、止められない美味しさですね。
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今までの人生、勘違いは何度かあったように思いますが、今回はその一つを紹介させてもらいます。
何年か前に、夜中に電話で誰かに起こされ、話を聞き電話を切りましたが、落ち込んだ様子が氣になったので、知人に電話をかけ直したら、知人ではなく別人だという事が分かりました。
私は知人だと思い込んでおり、とても恥ずかしかったのですが、落ち込んでいたのが知人ではなくてホッと一安心しました。
でも、あの電話はいったいなんだったのだろうか・・・???
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