黒川支店 渡邉 了太

 僕が、小学校1年ぐらいの時「ねるねるねるね」という2つのゼリー状のものを混ぜ合わせ、1つの微妙な味のするクリーム状のものを作るお菓子が、とても流行りました。2つ買って友達のものと合体させて大きなものを作って楽しんでいました。

この間、スーパーの駄菓子屋で「ねるねるねるね」を見つけたので、懐かしくて思わず2つも買ってしまいました。それを子供の頃と同じように2つとも混ぜ合わせ大きな固まりを作りましたが、小さい頃と違い1口で食べきってしまいました。

味はやはり微妙でしたが、懐かしさが半分プラスされ美味しかったです。

 

金山支店 林  将生(まさお)

 あれは、私が5歳ぐらいの時でしょうか。もっと前からお店はあったかもしれませんが、30年前の事なので記憶が曖昧なのは許して下さい。

その頃、港区の正徳という所に住んでいました。近くに市場があったのですが、何を食べても美味しかった覚えがあります。

中でも、お肉屋さんのメンチカツが恐ろしく美味しかったのを思い出します。

玉ねぎの甘さでしょうか、甘くて肉汁が溢れ出し、冷めても美味しく食べられました。

今でもメンチカツをよく食べますが、それ以上の味に出合っていません。市場はもう無くなってしまいましたが、きっとこれからも思い出の中で比べながら、美味しいものを探していくのでしょうね。少し切なく感じてしまいました。

 

西春支店 村上小百合

 ビールです。私が初めてビールを飲んだのは小学生の時でした。

叔母が家に遊びに来ていて、何故か私にだけ勧めてくるのです。

当時は自販機で瓶ビールが売っていて、よく買いに行かされました。そのお駄賃で一杯貰ったビールが私の思い出の味です。

子供の私には、もちろん美味しいはずはありません。

その叔母も名古屋に嫁に行ってしまい、叔母を頼りに私も就職しましたが、ホームシックになり、叔母の家に泊まりに行った時に15年ぶりにご馳走になったビールが苦いけど「うまいっ」と思ったのが、今でも忘れられない感動の味でもあり、当時を思い出します。


港支店 絹村 定光

 私の忘れられない味は、私が子供の頃、今から52年前に中村百貨店、今の三越デパートへ両親と一緒に行った時に食堂で食べたお子様ランチです。

店頭ディスプレーを見ていた時に一番最初に目に飛び込んできたのが、お子様ランチでした。両親におねだりして初めてオムライスを食べました。

今のオムライスみたいにフワフワの卵がのっているのではなく、うす焼きした卵がチキンライスにのってケチャップがかかっているシンプルなものでしたが、両親と一緒にあの場所で食べたお子様ランチは忘れられません。

 今、私には5ヶ月になる孫がいますが、もう少し大きくなったら、私が食べた思い出のお子様ランチを一緒に食べに行こうと思っています。

 

犬山支店 岡崎あずさ

 私は子供の頃から、炭酸ジュースが好きで、中でも今は無き「ファンタのスカッシュパンチ味」が大好きでした。

しかし、炭酸ジュースを飲むと骨が溶けると親から脅されていたので、家ではあまり炭酸ジュースは飲ませてもらえませんでした。が、親が仕事から帰ってくる前にお小遣いを使って自動販売機で炭酸ジュースを買って飲むのが、私にとっての小さな幸せでした。

 現在市販されているファンタにも似たような味の種類がありますが、何か違うような氣がして・・・。

 また同じものが販売されたらなぁって、今でもふと思う事があります。

 

中川支店 黒木 信明

 忘れられない感動の味ではないですが、今でも駄菓子屋などで売っている自分で作るお菓子には子供ながらに感動した事があります。

作り方は、ただ粉状になっている物を型に入れて、水を入れて混ぜ合わせ固まった物だったり、ねばねばした物に粉をまぶして食べるだけのものです。味はそれほど美味しくないのですが、それを作るまでの行程が楽しくて、よく買っていた事を思い出します。

 今でもスーパーなどで売っているのを見ると、自分が子供の頃にやっていた事を思い出し、子供たちと一緒になって夢中になって作ったりしています。

 

大高支店 近藤 一彦

 小学校にあがる少し前、母親と叔母の家に行った時の事だったと思います。生まれて初めて、うな丼を食べた時の事が忘れられません。

 世の中にこんな美味いもんがあったんだと感激したことを覚えています。

小さな頃の味というのは、刷り込まれるようで、その時に食べた以上のものに巡り合う事はなかなかありません。

それだけ「お初」にはインパクトがあるようです。

でも、今でもうなぎは大好物です。うな重よりもやっぱりうな丼ですね。蒸してフワフワのうなぎとタレのジュワーと、ごはんにからまったツヤツヤのものを思い浮かべると・・・あっ、よだれが。

 

岡崎支店 金山 純也

 私が小学校の時に、近所の駄菓子屋で好きだったのが、名前は忘れてしまいましたが、その当時20円ぐらいだったかな・・・?

ヨーグルト味の小さいカップに入ったものを毎日必ず買って食べていました。今でも、それを見かけると買って、子供と一緒に食べています。


岡崎支店 杉山 進

 皆さんは覚えがありませんか?串にささったカステラを。

碁石ぐらいの大きさの3つ重なったカステラ・・・子供の頃に学校が終わって、お小遣いを片手に駄菓子屋に行き、真っ先に買っていたのがこのカステラでした。

お小遣いの半分以上を使い、ジュースが買えなかった苦い思い出がよみがえります。

 

春日井支店 北野  聡

 私が子供の頃初めて食べて感動した食べ物は、移動販売で売られている「わらび餅」です。

子供の頃は移動販売の食べ物を食べる機会がほとんどなかったので、食べてみたいと思っていました。

ある日、家の近くにわらび餅の移動販売が通りかかった時、親からお金を貰い、他の子供達と一緒に買って食べました。わらび餅の味は市販の物とあまり変わりませんでしたが、器に使われていたのがモナカになっていたので、器まで食べられる事に驚きました。

わらび餅と一緒にモナカを食べた時の味は、子供である私の味覚には美味しいと感じましたし、他の子供達と騒ぎながら食べるのも楽しいと感動しました。

 

四日市支店 青山 佳史

 僕の忘れられない感動の味は、駄菓子です。

昔は街中や家の近所にたくさんあった駄菓子屋も見かけなくなり、駄菓子を食べられなくなるのではと思いましたが、ここ5年位前からスーパー、コンビニなどで見かけるようになりました。

ショッピングセンターなどに足を運ぶと、店の中の一角が駄菓子屋になっていて、昔を思い出す駄菓子が沢山あり、行く度に必ず買っています。

その中でも、うまい棒、チロルチョコ、Bigチョコは、外せない三品です。

うまい棒はめんたい、サラミ、コーンポタージュ味がおすすめで、チロルチョコは今、色々な味が出ていますが元祖の黒い包装をしてあるのが、おすすめです。

 手頃な値段ですし、コンビニでも売っているので、みなさんもどうですか?

 

三好支店 山本 謙治

 私の忘れられない味は、“アーラよ!”でおなじみの、昭和43年に発売のラーメン「出前一丁」です。
 食べる直前に、ごまラー油を入れると、湯気に乗ってこうばしい香りが一面に広がり、さらに食欲をそそられました。夜食に夏、冬問わず、星空を眺めながら、プチ屋台の雰囲氣を味わったものです。
 おっと久しぶりに食べてみたくなってしまいました。では!!

 

本社総務部係長 辻井 卓夫

 私は4〜5歳の頃、瑞穂区の堀田に住んでいました。伊勢湾台風の時には大水で靴が流れ出し、風で家が大揺れしていたのを思い出します。

 その頃、近所に毎日のように夕方になると紙芝居がきていました。

5円で紙芝居を観ながら、チョークの粉を固めたような5cm角のタイル形でオレンジ色のお菓子を、アイスクリームのさじようなものでくり抜きながら食べました。味はそれほど美味しくはないのですが、出来るだけ大きく丸く、中をくり抜くと、大きさに応じて商品がもらえるのです。

 紙芝居を目と耳で楽しみながら、手と口でもさらに楽しめる、でも欲張って大きな穴を作ろうとすると割れて水の泡になってしまう、甘くて苦い思い出の味です。

 

車輌部部長 小笠原正俊

 今から20数年前の8月の事です。

西春支店に勤務していた時、今日からお盆休みという初日に、昼食にステーキを食べ、夜にうな丼を食べ(ビールも飲み)、床についた所、吐き氣、下痢、腹痛の症状になり病院に行ったら即入院になりました。

検査の結果は、急性膵炎。点滴だけという治療になり、一ヶ月間は飲まず食わずでした。その後、重湯からおかゆに少しずつ変わりました。

3週間たった頃、看護婦さんには内緒で、売店でグリコのプリンを買って食べましたが、その時の美味しかった事。

プリンがこれ程美味しいものかと改めて知りました。それ以来、プリンが大好物になりました。

 

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黒川支店  太田 一規

 中華料理にツバメの巣を使った料理がありますが、僕は17歳位までツバメの巣は軒先とかにある泥で作られた巣を調理して食べていると思っていました。

何でこんな泥の固まりが高級食材なのか不思議に思っていましたが、テレビを観ていて日本でよく見るツバメの巣を食べる訳ではなく、名前は忘れましたが、違う種類のツバメの巣を食べている事を知りました。

 まだ食べた事はありませんが、食べる事があっても、安心して食べられそうです。

 

金山支店 土田 三郎

 テーマとは、少し違いますが、もう随分前の事、刈谷から安城方面に車を走らせていたが、どうも腹の具合がおかしい。

時折急激な腹痛が襲ってくる。「一刻も早くトイレにいかなくては」そんな思いで東刈谷駅前に車を止めたが、なんとトイレは2階。

定期的にやって来る痛みに耐え、ようやく辿り着き大急ぎで用を足したが、ほっとしたのもつかの間、辺りを見回しても紙がない。

ここは最後の手段で、自分の下着を使い用を済ませました。

 

西春支店 浮海  

 中学生の頃、同じクラスの同級生5人程で「銭湯に行こまい」となり、銭湯に行きました。(今のスーパー銭湯と違い、娯楽施設は全く無く、湯舟につかってリフレッシュするだけの所でした)

 翌日銭湯に行った仲間と話をしていた時、私が「ぜにゆの湯は最高だな」と言っていたら

友人に「はぁ?ぜにゆの湯ってどういう事?意味が分からん」と言われ、その中の一人が「ぜにゆと漢字で書いて“せんとう”って読むんだわ」

「・・・」超赤面でした。

この件が最近の事だったら恥ずかしさは倍増していた事でしょう。

 

港支店 武田 義則

 昔、健康ランドに友達と行った時の話です。

着いてすぐにお風呂に入ったのですが、友達は先に出て行きました。

30分後、私もお風呂を出て友達の姿を探しましたが見つからず、やっと休憩室のソファーに寝ている友達を見つけました。

友達はメガネを掛けていて、ソファーの横の棚にメガネがあったので友達だと思い込み、頭を叩いたら、全く違う人でした。

とても恥ずかしかったし、その人にも迷惑をかけ、本当に恥ずかしい思い出です。

 

犬山支店 熊崎 剣志郎

 小学校の修学旅行で奈良公園に行った時に、鹿にエサをあげようとしてしゃがんだ時、持っていたナップザックを鹿に奪われてしまいました。

必死で返して貰おうと格闘していたら、別の鹿がやって来て、私のお尻に角を刺してきました。

ズボンが破れてパンツが丸見えの状態になり、しかも鹿にナップザックが引っ掛かっているのが珍しいせいか、近くにいた人達が集まって来て、私のパンツを大勢の人に見られるはめになりました。

 

中川支店 伊藤  秀(まさる)

 私の恥ずかしかった思い出は、つい最近までお店の名前を勘違いしていた事です。その店の名前とは、皆さんも知っていると思いますが、ラーメンチェーン店の「来来亭(らいらいてい)」です。

 お昼に嫁さんと子供と一緒にラーメン屋さんに行こうと「来来来(らいらいらい)に行こう」と言ったのですが、嫁さんに通じず話しているうちに「来来亭じゃないの?」と言われ初めて氣づきました。

 運転をしていたのですが、ものすごく恥ずかしくて動揺が隠せませんでした。でも他の人に言われなくて良かったです。

 

大高支店 折式田 豊

 私の恥ずかしかった思い出は、保育園の年長まで「左」と「右」が分からなかった事です。

一般的に、はしを持つ手が右と教わると思いますが、いつも「左」「右」がどちらか分からなくなっていました。

 保育園での最後の運動会の時に旗を持って行進する遊戯をする時に、私が一番先頭で行進する事になり、「左」と「右」をいろいろな形で先生が教えてくれた記憶があります。

「左」と「右」はこの先、小学校の時まで勘違いする事になりました。

 今はちゃんと分かりますよ。

 

岡崎支店 鈴村 鉄男

 「ふるさと」という歌の歌詞に「ウサギおいし、かの山」とあります。

それを私は、おいしいウサギだと思っていて、友人と話をしていた時に「ウサギを食べた事があるけれど、ニワトリのササミみたいで特別おいしいって事もなかったよ、あの歌のウサギのおいしい山ってどこだろうね」と言ったところ、友人に「美味しいじゃなくて、追いしだよ」と言われて自分が間違えていた事に氣付き恥ずかしい思いをしました。

 

春日井支店 永井 幹大(みきひろ)

 今から3年位前、和合塾のグループの集まりで平和営業所に行くことになりました。特に詳しく調べずに乗務職員の人に聞いた「看板がある」という言葉を信じ、出発しました。

 しかしどこまで行っても看板が見つけられず、結局30分位迷ったあげく、近くのコンビニまで迎えに来てもらいました。

 帰りもみんなの心配をよそに「大丈夫」と言って帰りましたが、結局迷ってしまいました。正直、今も平和営業所の場所は分かりません。

 次行く時は、しっかり調べて行くようにします。

 

四日市支店 福森 辰明

 お通夜や告別式に似合うものは「涙」です。「笑い声」や「笑顔」は禁物でしょう。
 20数年前、私は告別式の受付の係を任されました。弔問客も個人や団体、そして団体の代表等、多数の参列者がありました。

受付の仕事は弔問客から香典等を受け取り、礼状や粗供養品を渡す事でした。ある団体の代表の老人に対して、私は必要な礼状の数を聞こうと「おいくつですか?」と言うと、その方は「65です。」隣で笑い声が・・・。

あーあーやってしまった。


四日市支店 山田 紀久

 46年前の小学校の冬休みの話ですが、田舎は農家で、その時代は畑の近くには肥溜めがあり、私たちもよく運びました。

雪の積もったある日、私は畑を後ろ向きに走って凧上げをしていましたが、目の前が突然真っ暗になりました。そうです、壺の中に落ちてしまったのです。近所の大勢の人から差し出された棒にしがみついて助けて頂きましたが、その時の恥ずかしさは、今も記憶にあります。

壺の深さは2メートル程ありました。

 

三好支店 古舘 和広

 皆さんは職業柄、毎日運行している車輌の事はご存知ですか。

異常発生時に応急処置を出来ずとも修理依頼時に整備の方に正しい情報を伝えれるようになりたいものですね。

 私が以前勤めていた運輸会社で自動車部品の配送をしていた時の事ですが、納品先で荷役中に協力会社の女性が近寄ってきて、4t車のキャブを上げてほしいと頼まれました。

 車輌に行き、ロックを外してイザと思ったのですが、重くて上がらず恥ずかしい思いをしました。


本 社 管理推進本部経理部部長 足立 敏治

 私は、人生を61年やらせてもらっていますが、ごく最近、自分が勘違いしていた事を知り、恥ずかしいというか、滑稽な思いをしました。

皆さんもよくご存知のカリフラワーに似た緑色の野菜「ブロッコリー」ですが、私は指摘されるまで「ブロッコリン」と呼んでいました。

 テレビでも「ゆうこりん」など名前の後ろに「りん」を付けて親しげな呼び方をするのが流行っていますが、そのルーツがブロッコリンだと思い込んでいました。
 でも、湯がいた新鮮なブロッコリーにマヨネーズをたっぷり付けて食べるのは、止められない美味しさですね。


車輌部 山田 季良

 今までの人生、勘違いは何度かあったように思いますが、今回はその一つを紹介させてもらいます。
 何年か前に、夜中に電話で誰かに起こされ、話を聞き電話を切りましたが、落ち込んだ様子が氣になったので、知人に電話をかけ直したら、知人ではなく別人だという事が分かりました。

 私は知人だと思い込んでおり、とても恥ずかしかったのですが、落ち込んでいたのが知人ではなくてホッと一安心しました。
 でも、あの電話はいったいなんだったのだろうか・・・???

 
 

 


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