黒川支店 成田 克也

 今から10年程前、夜釣りに行こうと誘われ名古屋港の貯木場へ行き、丸太の上に乗って夜釣りをしていました。

隣の丸太にエサを取りに行き、20cm位の間をジャンプして飛び移ろうとしたその時、丸太が回り出し足元を滑らせてそのまま海に落ちました。

辺りは真っ暗で、沈まないように必死に丸太にしがみつき、なんとか這い上がりました。友達もどうしたらいいか分からず助けてくれませんでしたが、自分が逆の立場だったら助けられたか疑問に思います。

 今、原稿が書けるのも生きているからだと思います。

以前の私は、命に対して考える事などありませんでしたが、大宝運輸に入社して命の大切さを教えて頂いている中で改めて、生きている事、今がある事に感謝の氣持ちが湧いてきます。

 

金山支店 水谷 康雄

 今から50年程前、現在新幹線が通っている所で、私は人柱になるところでした。

 それは池を埋め立て、新幹線の軌道工事がされていた頃のことです。

まだ小さかった私は、兄の後ろに付いて回り、遊んでもらっていたのですが、兄が目を離したスキに埋め立て中の池にはまり動けなくなり、手だけが出ていた所を兄に引っ張り上げてもらいました。泥だらけになった私を池の水で洗ってくれたのですが、「母には絶対にしゃべるな。田んぼに落ちた事にしろ」と言われ泣きながら家に帰ったそうです。

私は小さかったので覚えがありませんが、兄弟で集まり、酒を飲むと兄が「俺がいなかったら、お前は新幹線の人柱になっていた」と今だに言います。

 

西春支店 冨成 良彦

 もう35年も前の事ですが、その当時私は消防署に勤務する新米消防士でした。

12月の深夜、2階建て木造アパート火災で出動した現場では、2階中央の部屋付近から出火していました。私はホースを引っ張り、燃えていない西の部屋の窓を開けて進入しました。

 部屋は真っ暗で誰もいませんでしたが、天井を見ると煙が出ていたので、筒先を構えて水が来るのを待ちました。が、一向に水がきません。

その間にも、みるみる煙の量が増えてきて、焦げた臭いと煙で呼吸が苦しくなってきました。もうダメだと思い、入って来た窓から脱出して、数秒たった時「ボーン」という音と共に炎が脱出した窓から出ていました。

 あと数秒遅れていたら、殉職で2階級特進になる所でした。

今でも忘れられない出来事です。


港支店 西 健一

 私はスノーボードが趣味で、今年の冬も友人とツアーで長野県にある「牧の入スキー場」へ行った時に九死に一生の体験をしました。

チャレンジャーな私は、特大ジャンプ台に挑戦したのですが、ラッキーな事に順番待ちの客がいなかったため、頂上から滑ってきた勢いのままジャンプ台に挑んでいき、ジャンプした瞬間体勢を崩し背中で着地してしまい、鋼の肉体を持つ私ですが呼吸困難に陥りました。

何故か背中を打ったのにミゾオチにエルボードロップをくらったような衝撃でした。意識が彼方に旅立って行きましたが、友人が駆け寄って来てくれて助かりました。

多分骨にヒビぐらいは入ったと思いますが、私は鍛え方が違うので、病院にも行かず治るまで根性で耐えました。

 

犬山支店 大下 伸二

 高校を卒業して就職の為、17歳の貴重な夏休みをバイトで明け暮れて買ったバイクと共に東京に出ました。

週末、バイクで東京をあっちこっちと走り回っていた時、夜中に品川の鮫洲あたりの公園に入ろうした時、入口にクサリが張ってあり、それにフロントフォークを引っ掛け、体を前に放り出されてしまいました。

地面にぶつかる瞬間までスローモーションを見ている様に感じました。

 後で考えると、人生が走馬燈の様に過ぎて行ったとよく言われる感覚かな?と思いました。

 ちなみにバイクは大破、体は左手首捻挫と腰の打撲で済みました。

 

中川支店 松永 利行

 今の自分と一年前の自分では、思ってもいない天と地の差があります。

「自分は頑張っている」、「自分は悪くない」とずっと思っていました。

23年前離婚し、それから子供たちに一度も会う事なく時間が過ぎました。

大宝に入社し、伊藤塾長、和合塾に出会い、色々な事を教えていただきました。身勝手だった自分に氣づき、人の痛みを少し分かるようになり、昨年の10月に子供たちと再会することができました。

 今では4世代で記念旅行にも行くようになり、子供、孫から生きていく活力をもらっています。

 和合塾との出会いに「九死に一生」を得た氣持ちで、感謝でいっぱいです。

 

大高支店 坂 良己

 私が小学校5年生の夏休みの出来事です。

一人で自転車に乗り東海市の聚楽園の大仏を見に出掛けました。

その場所は小高い山の頂上に大仏が建っている所でした。

 大仏を見終わり、自転車に乗り、帰りの坂を下り掛けたところ、自転車のブレーキが効かない事にビックリ!その坂道の下には県道が走り、車も非常に多く走っています。

 私の乗った自転車は下り坂でスピードが増し、とても危険な状態です。

ブレーキの効かない自転車を放り投げ、自転車から飛び降りた所は、県道の5m先の所でした。

 幸いに足と手を擦り剥いただけで済みましたが、私にとって忘れがたい思い出です。

 

岡崎支店 横山 路代

  私が小学校3年生ぐらいの時の事です。

母親と豊田駅近くの「やまのぶ」というスーパーに行った時でした。

細い路地を何故かボーッとしながら母親に付いて歩いていると、先に母親が道を渡って店に入って行ってしまいました。「はっ」と氣付いて直ぐに私も道を渡ったその時でした。

私の右から乗用車が出てきたのです。(相手からすれば、私が飛び出して来た!と思った事でしょう)ぶつかる!と思った時に精一杯、体をくの字に曲げたのを覚えています。

まるでスローモーションのように走って来た車が私の体すれすれの所で止まったのでした。

真っ直ぐボーッと立っていたら、きっとはねられ、飛ばされていただろうと今でもたまに思い出す時があります。もう体験したくない出来事です。

 

春日井支店 横井 勝

 私は16歳のころ、バイクに乗っていました。

当時は今とは違い、16歳でも免許があれば大型バイク(排気量401cc以上)に乗る事が出来たため、ホンダのCB750フォアという大型バイクに乗っていました。

そんな私がツーリングの下見に行った時、いつものように氣持ち良く走っていると、ちょっと急なカーブが前にありました。

特に氣にすることなくカーブに進入し、カーブを抜けようとバイクを傾けた瞬間、「あっ」と思った時にはもう遅く、ガガガーと悲しい音。そしてドボンと冷たい水の感触、なんとカーブに砂利があり、それが原因で転倒。

バイクはキズだらけになりましたが、運が良かったのか私だけが川に突っ込むという若い頃の思い出です。

 

四日市支店 高木 豊

 私が6才頃、私と姉と近所の友達、4〜5人で公園に遊びに行った時の事でした。

 みんなと一緒に走っていると、どこからか突然大きな犬が私の近くに走って来たのです。一番小さかった私は逃げるのが遅く、犬からすれば私に一番早く追い付けると思ったのでしょう。

逃げている途中、目の前に軽トラックの荷台を見つけ、荷台に登ろうとしたと同時に犬が私の脇腹に「ガブリ」。噛みつかれてしまいました。

 すぐに犬の飼い主に病院に連れて行ってもらい、狂犬病の注射を打ってもらいました。

 その時私は、狂犬病で死んでしまうのではと思いましたが、処置が早かったので、事なきを得ました。

 

三好支店 足立 文博

 会社の健康診断が実施されますが、毎年必ず受診していますか?

若い時、健康な時は自分の都合、業務の都合等を理由にして後回しにしがちですが、便潜血検査、X線検査、超音波検査、内視鏡検査等でがんの早期発見ができます。

 私は出血があるかないか調べる便潜血検査で異常が判明、その後バリウムや発泡剤を飲んで行うX線検査で要再検査となり、内視鏡検査で異常が疑われる部分の粘膜を取り、生検検査で異常が発見され、55歳の時大腸がんを宣告されました。

 毎年会社の病院で健康診断を受診していたおかげで、運良く早期発見でき、大腸を10cm程切除しましたが、他の臓器への転移もなく、平成8年に約2ヶ月の入院生活で無事に生還しました。

 カテキンは抗菌作用があり、お茶を飲む量が多い人ほど、がん(胃、肝臓、肺)にかかる率が少ないと言われています。

私も退院後はお茶をたくさん飲み、食事にも氣を使っています。

 健康診断、健康管理(食事、運動)は自分と家族のために必要です。

 

本社 営業推進本部 星野 一樹

 私が住んでいる犬山には「石上げ祭」という奇祭があります。

江戸時代から続く由緒あるお祭りで、尾張冨士という山に地元の青年団や子供会、企業が参加し、石を積み上げる(石の大きさは手で持てるような物から1tもあるような物まで)と言うお祭りです。

 私が幼稚園の頃、親戚一同でそのお祭りに参加しました。

親戚のお兄ちゃんと山の中腹で岩の上に乗って遊んでいた時、いつものように調子に乗ってふざけていて、足を踏み外し2〜3m位の高さからころげ落ち、左の顔面と肩を擦り剥き血まみれになりました。

落ちた場所が砂地だったのでその位のケガで済みましたが、ごつごつした石がたくさんある場所に落ちていたら、頭か首の骨を折っていたかもしれません。

 

車輌 芳井 秀晶

 32年前、私がまだ長崎に住んでいた頃、友達と4人で雲仙にドライブに行きました。

季節は冬で、峠道を走っていた時、急に車がスリップして崖から落ちそうになりました。(その道はガードレールが無い道でした)

私が運転していたのですが、その時はあせる事なく、なぜか冷静な氣持ちで、ゆっくりとブレーキを踏んで対処する事が出来、車を停止させる事ができました。

ドアを開けて下を見てみると、数十メートルもある崖が見え、友達3人をあの世に道連れにしなくて本当に良かったと思いました。(ちなみにその時乗っていた車は、借り物のトヨタセリカ1600GTでした)

 

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黒川支店  河野 誠

 私が初めて買ってもらい、一番嬉しかった物は、18才の時に運転免許を取って、親に買ってもらった車です。

朝からワクワクして落ち着かなかったのを今も憶えています。

 納車してもらったその日は、一日中車を乗り回しあちこちに行きました。

今までに5台の車に乗り替え、2〜4台目までは、マニュアルのスポーツタイプに乗っていました。

 今はオートマチック車に乗っていますが、運転の楽しさを教えてくれた1台目の車は、今でも心に残っていて忘れられません。

 

金山支店 橋本 靖夫

 振り返れば今から40年位前、私がまだ小学生の頃、以前から欲しかった自転車を父親に買ってもらいました。

学校から帰り、毎日のように練習をして、半月くらいで乗れるようになったと思います。

 当時は中村区に住んでいて、父親に日曜日には自転車で、潮干狩りや魚釣りなどいろいろな所に連れて行ってもらったのを今でも覚えています。

 最近は、ほとんどマイカーでの移動になってしまい、自転車に乗ることもなくなってしまいました。

 

西春支店 滝下 隆

 初めて買ってもらって嬉しかった物で、思い出に残っているものは、大人用の自転車です。

 中学校三年間、自宅から中学校までの片道8kmを毎日、雨の日も風の日も通った事を思い出します。

その当時の道路は舗装されておらず、黒い学生服は学校に着いた時には砂ぼこりで真っ白になっていました。

 親に買ってもらった大切な自転車なので、パンク修理からメンテナンスまで自分でやり、大切に乗っていたので、中学を卒業する時でもピカピカに輝いていました。

 

港支店 太田 範幸

 小学校2年生から数年間、山口県光市に住んでいた頃は、朝から晩まで友達と外で三角野球をして遊んでいました。

草笛や木刀などでも遊んで、毎日あきることはありませんでした。

だから、親父からのおみやげに買ってもらった「地球ゴマ」は、それまでにない動き(宇宙の中の地球を思わせる)にビックリで、すっかりそのおもちゃに夢中になりました。

 その頃の懐かしい思い出としては、草笛、木刀、三角野球、そしてこの「地球ゴマ」です。

 

犬山支店 東 薫

 小学校6年生の時、親から自分の部屋に初めてカラーテレビを買ってもらい、すごく嬉しかった事を思い出します。

 でも私が親になったら、自分の子供にはカラーテレビは買わないと思います。なぜなら子供とのコミュニケーションが取れなくなってしまうからです。

 家族全員で話をしながら食事をする事は大切な事です。

今は社会に物が溢れている時代ですが、それと引き替えに大切な人と人のふれあいが少なくなって来ていると私は思います。

 

中川支店 安藤 晴久

 私が初めて買ってもらって、嬉しかった物といえば、小学校の頃に買ってもらった「ファミコン」です。

 確かクリスマスプレゼントに買ってもらったという記憶があります。

 休みの日になると、友達と一日中ゲームをしていました。大人になり、何かを買ってもらう事はあまりなくなりましたが、今は自分自身で働いたお金で物が買えるようになり、お金の大切さも分かり、色々なものを買ってくれた両親に感謝しています。

 

大高支店 松下 満彦

 初めて買ってもらって嬉しかった物、バット・グローブ・ラジコン・・・いろいろありますが、やはり「自転車」です。

早く乗れるようになりたくて必死で練習しました。

そして乗れるようになり、毎日走り回っていました。今でも家に自転車が届いた時のことを覚えています。

 まだ乗れない頃は何とか乗ろうとして転んでいました・・。

転んで怪我もたくさんしましたが、自転車に乗って遊びに行くことが大好きでした。一番嬉しかった物、だんとつで「自転車」に決まりです。

 

岡崎支店 大場 利彦

 小学校の時、初めて買ってもらったのが「釣り竿」でした。

その頃、学校のない時はしょっちゅう川や池にその釣り竿を持って釣りに出掛けていました。

ある程度使い続けると、もっといい物が欲しくなりましたが、それ以降は買ってもらえず、10年近く同じ釣り竿を使い続けました。

 よく探せば、まだ家のどこかに転がっているかも・・・・・。

 

春日井支店 古都 勝也

 私が子供のころ、買ってもらって印象に残っているのは、私が小学5年生のころ、流行っていた「ゲームウォッチ」です。

 親に頼んでもなかなか買って貰えず、頼みに頼んでやっと「成績が良くなったら」と条件をもらい、がんばった結果、やっと買ってもらうことが出来ました。ただ、あまりのおもしろさに学校でもやってしまい、先生に没収され、親を呼び出され、怒られた嫌な思い出の物でもあります。

 

四日市支店 本多 俊弘

 私物ではないのですが、買い与えてもらった物と考えた時、最初に頭に浮かんだのは、今担当させて頂いている10tトラックでした。

今までは、運輸会社にトラックがあるのは当たり前、会社の持ち物で、自分の物ではないと思っていたのですが、新車に替わった時に車に対する考え方を教えてくれた人がいました。

 自分でも車を大事にしていく中、愛着も湧いてきて、今では支店やグループで車輌を大切にしようという活動も活発になり、みんなに感謝しています。


三好支店 新屋 秋夫

 初めて買ってもらって嬉しかった物は、野球のグローブです。

なぜなら、私は周りの人から喜んでもらえ、尊敬されているプロ野球の選手になりたいと思っていたからです。

 どんな仕事でも人に信頼、尊敬される事は、人間として喜ばしい事です。

そのためには自分から学ぶ事が必要です。

 仲間と真剣に考え、日本一事故の少ない会社を目指し、プロの物流企業になれる様、力を合わせ困難を乗り越えていきたいと思います。


本 社 営業推進本部 奥村 友和

 買ってもらって嬉しかった物は、私が中学2年の時に両親に買ってもらったCDプレーヤー搭載のコンポです。

 これは少々、手前味噌になりますが、学校の中間テストで学年1位になったご褒美として買ってもらいました。

 当時CDが世の中に出始め、私も音楽に興味を持ち始めた事も重なり、それに決めた事を覚えています。

ちなみに最初に買ったCDは爆風スランプの“Runner”でした。

 今でもそのコンポはアンプとして現役稼働中です。


車輌部 北 昌広

 私が初めて買ってもらって、嬉しかった物と言えば、小学校3年生の時に父に買ってもらった「BMX(モトクロスみたいな自転車)」です。

 それまでは、姉のお古の自転車に乗っていました。

買ってもらった自転車がものすごく嬉しくて、ジャンプやウィリーをして遊んでいました。が、道路で滅茶苦茶走っているのを父に見つかり、没収された事を今でも覚えています。

 そして今は、3才の娘に自転車を買ってあげましたが、ヘルメットを必ず着用し、安全な事、危険な事を教えながら楽しく遊ばせています。

 
 

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