黒川支店 松浦  進

 小さい頃の遊び場といったら、山、川、池などでした。

小学校低学年の頃だったと思いますが、その日は近所の友達3〜4人と茶畑で遊ぶことにしました。

段々畑になっている茶畑を上からジャンプして下まで降りて来るという遊びで、誰が一番速いか競争したり、わざとお茶の木の上に飛び乗ったりと、とても楽しく笑いが絶えませんでした。
 ところが、突然「コラーッ」と知らないおじさんが怖い顔をして向かってきました。僕たちはビックリして逃げましたが最年少だった僕だけが捕まってしまいました。友達が泥ダンゴをぶつけて助けようとしてくれたので、その隙に逃げ出すことが出来ました。

 でも農家の人にしてみたら、たまったものではなかったと思います。

楽しい思い出ですが、袋井市のお茶農家のみなさん、すみませんでした。

黒川支店 籾山 貴彦

 私は小学校の頃、夏休みになるとよく関西の親戚の家に泊まりがけで遊びに行っていました。

その頃の思い出ですが、奈良にドリームランドという遊園地があり、そこの敷地の裏山にツキノワグマの剥製が捨てられていました。それは立ち上がった姿でとても大きく、リアルなものでした。

従兄弟達数人とそれを山道の途中まで運び、路肩の茂みの影に置き、山道を走ってくる車の反応を見て楽しんでいました。

大半の車は急ブレーキで停止し、バックで逃げて行きました。

 夕暮れになった頃、パトカーが数台来て大騒ぎになったので、みんなで山の中を走って逃げました。ドキドキでした。

 

金山支店 藤岡 富夫

  私の実家は山間部にあり、家の周りは少し斜面になっていましたが、先人の知恵で竹林化されていました。(竹は地面を地下茎が広く覆うので、地震や崖崩れに非常に強くなります。)
 中学生のころ筍の成長時期になると、皮を集めて専門業者に持って行き小遣いにした思い出があります。

 竹林には皮に毛が無い真竹と、皮に毛がある孟宗竹の2種類が主に生えていて、真竹の皮を多く集めようとまだ竹になっていないタケノコを揺らして皮をとっていましたが、強く揺らし過ぎて中間から折れてしまい、それでは竹にならないので「揺らさずに落ちている分だけ拾いなさい」と親に叱られたことを思い出します。

金山支店 橋本 靖夫

 今から35年ぐらい前、私が中学生の時のことです。

当時学校でよくやったイタズラで、先生が入ってくる教室の入口に黒板消しを挟み、先生が開けた瞬間に黒板消しが落ちてきて先生の頭がチョークの粉で白くなるのを見て楽しんでいました。

もちろんその後は先生に怒られ授業が終わるまでの50分間、数人が水の入ったバケツを持たされ廊下で立たされました。

その他にしたイタズラは、女子生徒のスカートめくりです。

 当時私は好きな女の子の氣を引こうと行動に出た事がありましたが、逆に嫌われてしまいました。今思い出すとあの頃のことを懐かしく感じます。

 

西春支店 小宮 正典

 私は、今でこそ休みの日は体を動かすことが好きで、よく子供と出かけたりしますが、昔は運動が苦手で体育の時間が大嫌いでした。

特にサッカーが苦手で、可愛いイタズラ?かどうかわかりませんが、一度サッカーボールを箱ごと隠してしまったことがあります。

 案の定クラス中が大騒ぎになりました。私は自分のしたことを後悔しましたが、その時はどうすることも出来ませんでした。

今でも子供とサッカーをすると、事件のあとしばらくボール拾いになったことを思い出します。

過去の私みたいにならないように子供は育てなくては、と改めて思います。

 西春支店 冨田 正明

 幼稚園の頃は、木登りなどで高いところに登るのが大好きでした。

親戚の家がお寺で、その家には大きな木がたくさんあったので、そこに行くとよく木登りをしていました。親には内緒にしていましたが、木登りをしている時に何本も木の枝を折ってしまったこともありました。

 近所の子供たちともよく遊んでいましたが、仏像に勝手にさわったりと、とにかく無茶なことをいっぱいした思い出があります。


港支店 木ノ下 忠雄

 私が小学3年生の時のことです。

小学校からの帰り道の途中にイチゴ農家があり、イチゴを栽培しているビニールハウスに友達4〜5人で忍び込み、イチゴを摘んで食べていました。

イチゴを食べるのに夢中になっていた私たちは、そこの農家のおじさんに見つかってしまい、たっぷりお説教をもらいました。

しかし、そのおじさんは説教を終えると「そんな土の付いたイチゴじゃなく、こっちを食べろ」と言って、パックに包まれたイチゴを私たちに手渡してくれました。おじさんの心の広さと、あのイチゴの味は今でも忘れられません。

港支店 木村 宗義

 小学5年生ぐらいの頃、お昼前の4時間目の授業から私を含めた男子2〜3人が教室を抜け出し、給食室に忍び込み、つまみ食いをしていました。自分達のクラスの分からつまみ食いをするとバレてしまうので、他のクラスの分の給食をつまみ食いしていました。

しかし、ある日いつもと同じように給食室に忍び込み、いつものようにつまみ食いをしていたら、当時の小学校で最も恐かった体育の先生に見つかり、全員職員室前に正座させられ、長々と説教を受け、おまけに愛のビンタをもらいました。

その後給食室には鍵が取り付けられ、忍び込むことは不可能になりました。

 

車輌部 首藤 和彦

 可愛いいイタズラとは到底言えないのですが、私がやったイタズラの中で自分もビックリして、とても叱られたイタズラがありました。

あれは小学生の頃、自分の前に座っている人の椅子を、立ち上がって座る瞬間に引いて転ばすというイタズラを授業中にやった所、見事に机ごと大声を上げながら後ろへ「ドーン」と尻もちをついて倒れ込みました。

その事の重大さにイタズラした私も驚いて、慌てて机を起こすのを手伝いました。ご想像通り、その後は先生にこっぴどく怒られ、一時間廊下に立たされた苦い記憶があります。

 今、学校で同じようなイタズラをしたら大問題になりかねないなぁと、現在子供を持つ親としては考えさせられます。

 

犬山支店 宮崎 延広

 学生時代によくやったイタズラは「落書き」です。特に苦手としていた社会と音楽の授業中には、教科書に載っていた“人物画”によく落書きをしたものです。(ヒゲやメガネを描くのは当たり前で・・・)そのうちに自分の教科書だけではもの足りなくなり、他のクラスの友達に「持ってくるのを忘れたから、次の授業の教科書貸して」と言って他人の教科書にも落書きをするようになりました。

もちろんしっかり最後のページまで・・・。

授業中、先生の話は耳に入らず、違った意味で一心不乱に、教科書に向き合っていました。楽しかった学生時代の思い出です。

犬山支店 田中 昭弘

 イタズラで思い出すのは、高校1,2年の頃にやったハイテクなイタズラです。私は当時から機械が好きだったので、センサーと電子回路を使って仕組んだイタズラは忘れられません。

 そのイタズラの一つに、当時数学担当の先生で、すぐ教壇の両端に手をつく先生がいました。

その手をつく所に細い電線をはり、それに高圧回路をつなぎ電気を流してビックリさせるイタズラをしました。

 高圧と言っても電流がほとんど無いので人体には影響はありませんが、波形を考えてあるので結構な刺激に先生がビックリしていましたが、先生は静電気だと勘違いしていました。忘れられない思い出のイタズラです。

 

中川支店 徳村 政守

 僕が小学1年生の時、僕の家で友達3人と初めはおとなしく遊んでいました。しばらくすると、ちょっと横着だった友達の一人が「腹減ったなぁ」と冷蔵庫を開けました。

するとそこにはビールが数本冷やされていて、その横着な友だちが「俺ビール飲めるよ」と言い出しました。僕ともう一人の友だちも飲んだこともないのに「俺も飲めるよ」と言って、みんなでビールを飲みました。

 あとで親にバレてひどく怒られましたが、今ではいい思い出かな?

中川支店 中條  寛

 僕には一歳年上の兄がいるのですが、小学生の頃兄が親に怒られているのを見たくて、テストや通知表を隠している場所を親にこっそり教えて、兄がこっぴどく怒られているのを陰で見て喜んでいた事を今でも憶えています。
 そんな事をした私に今でも優しく氣遣いや心配をしてくれる兄とは、大人になってからもよく喧嘩はしますが、一緒の職場で同じ目標に向かっている時は一番の味方であり、ライバルでいてくれる兄には心から感謝しています。 これからもお互い人生に対して妥協しそうになった時は励まし合い一緒に頑張っていきます。
 「お兄ちゃん、隠し場所を親に教えてしまって、ごめんね。」

 

大高支店 永田 孝二

 今から30年ぐらい前の事ですが、当時私の住んでいた町では珍しかった11階建てのマンションが建設され、そのマンションに引っ越してきた子と仲良くなり、よく遊びに行っていました。

11階建てのマンションには当然のことながらエレベーターがあり、自分で操作できることが楽しく、はじめのうちは普通に乗っていたのですが、そのうち自分たちは乗らずに、全ての階のボタンを押して遊んでいました。

 ある日その友達の家に行く時に、全てのボタンを押したら、途中でエレベーターが止まり閉じ込められてしまいました。
20分位で救出されましたが、その時はすごく長時間に感じました。

それ以来エレベーターには1人で乗らないようにしています。

大高支店 阪井 隆浩

 私は小さい頃、友達と色々な遊び場を探す事が好きでした。

そのうちの一ヵ所に、家の近所の「消防署」がありました。その頃は私自身何も悪氣はなく、消防署で働いている人もあまり署内をうろうろ歩いていなかったので、友達と扉の付いていない消防車の運転席に座ってみたり、訓練用のハシゴやロープに登ってみたり、色々な事をしていました。

 そのうちそこで働く署員の方に見つかったのですが・・・。

憶えているのは、事務所に連れて行かれ、みかんをたくさん貰って、テレビを見ながら遊んでもらったということです。

 その後も何度か遊びに行っていましたが、緊急出動もしていたので、今思えば邪魔で申し訳なかったなぁと思います。

 

岡崎支店 森本  誠

 私は昔、少しグレていました。中学2年生の夏ぐらいから友達に誘われて、悪い遊びばかりをして両親に迷惑をかけていました。

内容は話せませんが、今思えばなんてくだらないことをしていたのだろうと後悔しています。

 今はいない両親にもっと親孝行をしてあげたかったと反省しています。

家族を大切にしたいという氣持ちが大人になって強くなりました。

 みなさんも親にブツブツ言われても、腹を立てずに聞く耳を持って接してください。そして家族のすばらしさを実感して、楽しい家庭生活を送って行きましょう。

 岡崎支店 橋本 達哉

 子供の頃のイタズラといえば、教室の入り口に黒板消しを挟んだり、男の子はスカートめくりなんてことをやっていたのではないでしょうか?

私が小学校の時に最も盛んに行われていたイタズラといえば、「ブーブークッション」です。

 当時は大ブームになっていて、テレビでも取り上げられ、駄菓子屋などでは多くの偽物が売られていたほどです。

 しかしあまりのブーム故にイタズラとしては、面白味がなくなってしまい、あっという間に終焉を迎えてしまいました。子供時代の懐かしい思い出です。

 

春日井支店 永井 幹大

 私が小学生の時に犯した罪は「不法侵入」です。

友達と近所にあった資材置き場に勝手に侵入し、自分たちの土地のように我が物顔で遊んでいました。めったに持ち主の方はみえないのですが、たまに持ち主の方が現れると、慌ててみんなで逃げ出したりしていました。

 かくれんぼや鬼ごっこといった遊びや、みんなで小遣いを出し合っておやつを買って来て食べたりしましたが、よく考えればその場所でなくてもどこでもできる遊びばかりでした。

 今振り返ってみると、自分たちだけの遊べるスペースを持っていることを自慢できる事が嬉しかったり、友達と秘密を共有している事が楽しかったのだと思います。

春日井支店 糸永 功一郎

 小学3年生の時の事です。校舎から外に出ている非常階段の3階から下を覗き込んでいました。

 そこでふと、この高さから唾を吐いたらどんな風に落ちていくのかが氣になり、唾を吐きました。

まっすぐに落ちて行く様子をじっと覗き込んで見ていると、いきなり真下に先生が現れ、しかも上を見上げたのです。

「あっ・・・」と思い、慌てて覗き込んでいた顔を引いて、その場から逃げてしまいました。

 先生の顔には間違いなく私の唾が落下したと思われます。先生、ごめんなさい。

 

四日市支店 福森 辰明

 小学校の頃、テレビドラマの「コンバット」をよく見ていて、主人公が持っていた自動小銃が欲しくてたまりませんでした。

その頃“2B弾”という花火があり、マッチ箱で擦ると点火し数秒後に「パーン」と破裂する刺激的なものでした。

 ある冬の日、近所の悪ガキが集合し、木の板とTVアンテナのパイプを銃身にした銃を作り、銃身の中に点火した2B弾を入れ、爆発の感覚を体験するという最高の遊びをしていました。

 そして全員で近くの堤防で戦争ごっこの真っ最中、あちこちの枯草から煙が上がり始め、「ウーウー」と消防車のサイレンが聞こえて来たため、悪ガキはみんな一目散に逃走し戦争は終わりました。
 現在私は地元消防団員として日夜防災活動に励んでいます。平和な毎日が続いています。

 四日市支店 藤原 伸安

 私がまだ小学校の低学年ぐらいの頃、一人で留守番をすることになった時にマッチとろうそくを見つけました。

 ろうそくに火を付けて遊んでいたところ、その火が畳に燃え移り煙が出始めました。このままでは家が燃えてしまうと思った私は、あわててバケツに水を汲み、それをまいて火を消しました。

 幸いボヤ程度で済んだのですが、部屋一面を水浸しにしてしまい、帰ってきた両親にものすごく怒られました。

 もう二度と火遊びをしないでおこうと思った幼少のころの苦い思い出です。

 

三好支店 林  裕之

  私が小学生の頃は野球が一番人気のあるスポーツでした。
 学校が始まる前に広場に集まってハンドベースボールをしてから学校に行くということをいつもしていました。たまに夢中になり過ぎて、時間も忘れて学校の始業時間に間に合わなくなり上級生の私達だけでなく、下級生の子達も遅刻させてしまったこともありました。

 今ではあまり夢中になってやることがありませんが、一心に夢中になれることがあるといいなぁと思います。

三好支店 渡部 明信

 私の実家は農家で、私が幼少のころは、母屋、納屋、厠(便所)、馬小屋などがありました。

 屋根や垣根が上手くつながっていて、そこを弟や友達と探検をするような氣持ちで屋根づたいに移動して遊びました。

 いくら体重の軽い子供とはいえ、屋根の上を歩けば瓦がずれます。

瓦をずらしたままにしておくと、そこから雨漏りが起きます。

 そのことを氣にしていた両親と祖父には叱られましたが、屋根の上のような少し高い所に登り、そこから遠くの景色を眺める氣分は爽快でした。

 

本社 営業推進本部 金山 健太

 小学校の頃のこと。当時担任の先生が体調を崩して休職され、教頭先生がその代理になりました。

とても厳しい方で私も含めよく叱られました。しかしそんな厳しい先生が担任となってしまったから大変です。

日々怒られる中、皆で何かイタズラをしてやろうという話が持ち上がり、私達が中心となって作戦会議をしました。

 毎日1時間目の授業中には先生が校庭のゴミ拾いをされていたのでそのコース上にある砂場にゴミを置き、その前に落とし穴を作りましたが、なかなか引っ掛かってくれません。

 穴の数を増やし再挑戦しましたが、その穴に引っ掛かったのは、仲のよかった用務員さんでした。

 子供時代のイタズラでしたが、教頭先生、用務員さんごめんなさい。

 
 

 


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