金山支店 日比野  秀行

 私は10年程前にイタリア料理店でワインの仕入れ担当をしていました。

高い物は美味しくて当たり前なので、いかに安くて美味しい物を仕入れるかに苦心しました。

今でも毎日のようにワインを楽しむ、ワイン大好き人間の私が、安くても(2000円以下)美味しい物を探すコツを少しお教えします。

 @フランスやイタリアの物は避け、チリ、アルゼンチン、カリフォルニア、オーストラリア、スペインのもの

 Aワインのボトルは重くて底が深くえぐれているもの

 Bラベルのデザインがシャレていて裏側に日本語の説明のないもの

 C専門のワインショップで購入する 等々、

他にもありますが詳細は長くて書き切れませんので、機会がありましたら相談して下さい。ではみなさんも家庭でおいしいワインを楽しんでください!

 

黒川支店 森田 和敏

 僕は大宝の中でサッカーにかける情熱は誰にも負けないと自負しています。プレイする方もですが、特に観戦が大好きです。

今までも豊田スタジアムはもちろんの事、国立競技場、日産スタジアム、埼玉スタジアム、静岡エコパに観戦に行きました。

特に僕の神様的存在であるジダン(フランス国籍の元サッカー選手)を生で見た時はとても興奮しました。

観戦のこだわりはキックオフ3時間前からスタジアムに入って、ビールを飲みながらウォーミングアップから見ることです。

その時ほど幸せな時間はありません。毎回記念にユニフォームを買ってくるのですが、今ではそれも10枚以上になりました。
 スペインのスタジアムでビールを飲みながら毎日サッカーを観戦するのが老後の夢です。

 

岡崎支店 小田 祐輔

 私の自慢できるもの。これをやらせたらナンバーワンというより、オンリーワンになると思うのですが、みなさんはレイヤーをご存じでしょうか?

コスチュームプレイ、俗にいうコスプレをする人達の事をコスプレイヤーと言います。私はコスプレを始めて、その面白さにすごくはまってしまいました。

キャラクターごとにメイクを変え、ポーズを変え、武器を作り、小道具を作り、衣装を作りなどイベントまでの準備もイベント当日もものすごく楽しめます。コスプレ仲間もたくさん出来て、今一番の休日の楽しみです。

もし私以外にも大宝にレイヤーさんがいましたら、一緒に楽しみませんか?岡崎支店まで連絡をください。


西春支店 野田 賢一郎

 私には、6歳の息子がいます。

普段は忙しくて寝ている時にしか会えませんが、その分休みの時はずっと一緒です。休みと分かると「お出かけする」攻撃が始まります。

その時はお弁当を持って公園に行きます。

初めてやる滑り台は怖がりなので「一緒に行こ」となります。

公園は大のお気に入りで、この頃はボール遊びだけでなく、野球もやりたがるようになりました。

私としては子供の頃好きだった仮面ライダーに興味を持ち始め一緒にテレビを見ていることの方が嬉しいです。

 今まではこれといって私の自慢できることは無かったのですが、今は疲れていようが眠かろうが休みの日に“息子と遊べる力”が自慢です。

 

中川支店 松永 健一

 ヤマハYZF−R1 2005年式。私の自慢のバイクです。

市販車としては、当時のヤマハの持てる技術を惜しみなく投入して創られた極めて走行性能の高いバイクなのです。

 有名な鈴鹿8時間耐久レースに出場するバイクのベース車になるようなマシンなので、正直その性能を使い切る事は私には出来ませんが、それでも加速や旋回性能の高さは今まで乗っていたバイクをはるかに凌いでいる事を感じます。

 また、流麗なデザインで知られるイタリアンバイクと比べても見劣りしないスタイルも大きな魅力です。

そんな高性能マシンですが、公道を走る時は当然安全第一。

 もし機会があれば、是非一度はサーキット走行を試してみたいものです。

 

犬山支店 小池 好幸

 私は大宝に入る前までは、左手の腕相撲で誰にも負けた事がありませんでした。

3年間毎日筋力トレーニングを続けた末に、最強の左手を手に入れました。

体の大きな外国の方にも、鍛え上げられた体の人にも一度も負けることはありませんでした。とにかく腕の太い人と会えば腕相撲勝負をしていました。

間違いなくその頃の私だったら、確実に大宝No.1に違いありません。

3年以上続いた筋トレも敵がいないとの余裕から、しない日々が続き、今では腕がすっかり細くなり、体重も落ち、軟弱になってしまいました。

 犬山支店でも次々と力比べに負け、悔しい日々を送っています。

また筋力トレーニングを始めようと思っているところです。

 

港支店 木ノ下 忠雄

 私は前職で24年間、型枠大工をしていました。

型枠大工とは、コンクリートを流すための型を作る仕事で、初めのうちは仕事の要領が分からず先輩に何度も叱られましたが、頑張った甲斐あって一人親方になるまでになりました。

この経験を今では運動会や文化祭に活かしています。

仲間達と一緒に作りものをしていると、大工の時に仲間達と楽しく仕事をしていた時の事を思い出します。

 大工の時と今とでは作る目的や目標は違いますが、仲間と一緒に楽しく何かを作り出す事には変わりありません。

 これからもこの腕を活かし、支店の仲間達と協力して、より良いものを作っていきます。

 

大高支店 小栗 竜也

 私の自慢できる事は、かなり昔の話になりますが短距離走が得意だった事です。

中学、高校と陸上部に所属し、主に100mと200m走の選手でした。

 学生の時は岐阜県大垣市に住んでいて、100mでは市の大会で負けたことがなく、中学の時の新人大会では岐阜県の大会で1位をとった事もあります。おかげで高校に上がる時は7校から推薦入学の誘いがありました。

残念ながら高校2年生の練習中に太ももの裏の筋肉を断裂させてしまい、途中で挫折してしまいましたが、100mのベストタイムは10秒9。50mは5秒2という記録を持っていました。

 過去の栄光ですが、これが私の自慢です。

 

四日市支店 葛原 博樹

 現在の四日市支店は、昨年の物流フェスティバル、大宝運動会、文化祭、今年の物流フェスティバルのイベント事はすべて、一位、グランプリ、総合優勝と非常に盛り上がっています。

 以前は何もかも最下位だった四日市支店を「四日市を変えて行こう」「今のままではダメだ」とみんなが思い、勝負に勝つための戦略、方法を松田支店長に学び、支店のみんなが素直に聞き入れて、行動しました。

 支店長と安全委員の関係が良く、各リーダーの責任と役割が上手くいった成果だと思います。

 今年の運動会は私が総括を任されました。

この社内報が出来上がる頃には、結果が分かっていますが、今年も支店長、安全委員、リーダーを中心にみんなで盛り上がり、運動会だけでなく、安全に楽しく働くことができる職場を作って行きたいです。

 

春日井支店 永井 幹大

 私の自慢は今から15年くらい前に流行った「ストリートファイター 」というゲームです。

この「ストリートファイター 」というゲームは1対1の対戦ゲームで基本的にはコンピュータを相手に戦い、倒したら次のステージに進めるといった内容のゲームでした。

 当時、中学生だった私は友達とゲームセンターでよく遊びましたが、ゲームセンターでゲームをすると1回100円かかり、当時の私にはきつく、あまり強くはなれませんでした。

 家庭用ゲーム機で発売されてからは家で勉強もしないで猛特訓をし、その結果クラスでNo.1の実力になりました。

 それがささやかな私の自慢です。

 

三好支店 成田 和正

 三好支店は大宝の中で一番働く人数が多く、また一目で分かりますが大宝一大きな支店です。

 働く人の年齢も幅広く16歳から70歳以上の方までが、24時間365日代わる代わる支えてくれています。

3階で作業される方の中には日系ブラジル人の方も数名おり、外国の変わったお菓子をもらったり、たまにポルトガル語を教えてもらうなどしています。100名を超える人が集まって仕事をしていると思うと、心強さを感じると同時に、責任感を持ってやらなければと思います。

 三好支店の良いところは、助け合いの心をみんなが持っていて、人を思いやることが当たり前にできる人がたくさんいることです。

 業務も行事も全力で取り組み、もっと活気が出る支店にしていきます。

 

車輌部 加藤 義文

 僕の自慢はどこでも寝ることが出来る事です。

毎回バイクで一泊するツーリングに行く時は寝床、道のりなどをあまり調べずに出発してしまうために、夜は目的地での寝床探しが習わしになっています。行き先で道の駅があれば駐車場で、公園があればベンチを使わせてもらって寝たりします。

 ある時、山の中の道路でトイレがあったので、そこで寝ていて朝目が覚めたら、観光バスが止まっていて少し恥ずかしい思いをしました。

 そんな思いをしながらツーリングを楽しんでいますが、無計画に出掛ける貧乏旅行ではなく、ちゃんとしたホテルや旅館でゆっくりしたツーリングをしたいと最近は思っています。

 

本 社 経理部部長 足立 敏治

 4年ぶり8度目のリーグ優勝を果たした中日ドラゴンズ。

前半戦は宿敵巨人に最大8ゲーム差をつけられ3位に甘んじていました。

その時点でおそらく大半のドラファンも諦めかけていたと思いますが、ドラキチの私は諦めませんでした。

 中日スポーツ新聞に、首脳陣の戦い方を問い正したり、選手たちのやる氣や必死さの足りなさを指摘した原稿を立て続けに投稿しました。

また、ナゴヤドーム近くにあるドラゴンズが祭ってある六所神社と岡崎市にある勝負事にまつわる神様が祭ってある伊賀八幡宮にお参りにも行きました。その甲斐あってか、後半戦は勝って、勝って、勝ちまくる強竜ドラゴンズに変身し、大逆転V奪還を成し遂げました。

 自称大宝一のドラゴンズファンの私もこの勢いでドラゴンズが日本一になれるよう、誰にも負けない応援をし続けます。

 

HOME  ▲topに戻る



金山支店 松浦  翔太

 私の兄弟は、私が長男、次男、三男、長女の4人兄弟で、男3人の名前が「翔太(しょうた)」「龍登」「飛鳥」といいます。
 それぞれの名前には、私が「未来へ翔く」、次男が「龍のように強く登る」、三男が「鳥のように華麗に未来に飛ぶ」という由来があります。

未来へ強く、真っ直ぐに向かって行ってほしいという両親の思いを心に留めて、一日一日大切に過ごしていきたいと思います。

 

黒川支店 加藤 丈尚

 私の名前は「丈尚」と書いて「たけひさ」と読みます。

幼い頃は呼びやすくもなく、格好もよくない名前であまり好きではありませんでした。読み方も簡単ではなく、これまでに正確に読んでくれた人は2人しかいませんでした。

 読み方や格好だけで両親が名付けるはずもないので、どんな意味があるのか聞いてみると「丈」には丈夫という意味、「尚」には素直という意味がありました。

 丈夫で素直な人間になってほしいという両親の願い。なかなか素直になれない私ですが、名前に負けない、恥じない人間になります。

 

港支店 倉内 直人

 私の名前の由来を以前、母から聞きました。

私の父は私からは想像も出来ないくらい真面目で一度こうと決めた事は、誰が何と言おうと変える事がない、簡単に言うと頑固一徹な人でした。

自分は頑固なクセに私達には、「人間素直が一番だ!」とよく言っていたものです。

 たぶん自分が頑固なのに気付いて、私には素直な性格になって欲しいという願いを込めて「直人(なおと)」と付けたのではないかと母が言っていたのを思い出します。


西春支店 宮田 昌峰

 私の昌峰(まさみね)という名は、祖父が字画と漢字の意味を調べながら名付けてくれたと聞きました。

 字画はどうしてか分かりませんが、18画にこだわっていたそうです。

漢字の意味としては「太陽が昇る、栄える、山の頂き」という意味があるそうです。祖父は「努力をして上をめざせ」という思いから付けてくれたのでしょうか?一生使う名前をこんなにも考えて付けてもらいありがたく思います。

 名前には一人ひとり意味や思いがあります。

これからも名前に負けないように生きていきたいです。

 

中川支店 黒木 信明

 私の名前は「信明(のぶあき)」と言います。

この名前は両親が付けてくれたのではなく、私が生まれた時から入信している宗教団体で付けて頂きました。

 小さい時は両親から付けてもらった訳ではないので嫌でしたが、今はそこそこ氣に入っています。

私には2人の子供がいて、長男の名前は利恩(りおん)、次男の名前は琉生(るい)といいます。

 2人の名前は私が名前の本を見て、字の画数や生まれてくる顔を想像しながら付けました。

 現在7歳と6歳のとても元氣な2人です。

子供たちに聞いた事はありませんが、氣に入ってくれていたら嬉しいです。

 

犬山支店 小澤 研二

 私は小澤家の長男として生まれました。

私は研二という名前を実はあまり気に入っていませんでした。

長男だから二よりも一、研一の方が良かったのではないかと・・・。

 両親に聞いたところ、両親は私の名前を決めかねた末、近所にある姓名判断をしている人に頼んで、研二の名前をもらったそうです。

意味を聞いたのですが、画数で決めたとのことで、よく分かりませんでした。 でも親が付けてくれた名前なので、大事にしていきます。

 

岡崎支店 福島 直樹

 私の名前の由来は、字のごとく樹木が真っ直ぐ伸びるようにすくすくと元氣に育ってほしい、素直に生きてほしいという願いが込められているそうです。

 私は直樹(なおき)という名前を氣に入っています。

最近では字の画数で名前を付けたり、変わった名前、読むことの難しい個性的な名前も多く、そのような名前に憧れもありますが、両親が私のために一生懸命悩んで考えてくれたこの名前を大切にし、この直樹という名前のように生きていきたいと思います。

 

大高支店 代喜 太郎

 私の名前の由来は2つあります。

どちらもシンプルなことですが、1つ目は私が生まれた36年前に両親が、これからは国際社会で外国の人たちにも覚えられやすい名前ということで「太郎」という名前になったそうです。

 2つ目は名字が難しいので名前の方はわかりやすい方が良いということで単純な名前になったそうです。

 

四日市支店 田川 課

 「課(はかる)」について今まであまり考えたことがなかったのですが、この名前は親類のおおじいさんの名前を付けたそうです。

 その方は人徳のあるえらい人だったと小さい頃、父に聞いたことを思い出します。7人兄妹の5番目で男は私一人なので、大いに期待して付けた名前だと思います。

 改めて調べてみると、字の意味としては「日課とか、部、課など」勉強と仕事に関係した名前だと思われます。

 「お前、でっかい男になれ」と父が付けてくれたこの名前に、自分の人生が重なり合ってきた大好きな名前です。

 

春日井支店 蒲  孔伸

 私の名前は孔伸(こうしん)といいます。

蒲家の第二子として産まれました。名前の由来を親に聞いたところ、「社会に出てからも人に負けることなく、そして会社の中でリーダーシップをとってゆけるよう」そして「自分をしっかりと見つめられるような人間に育つように」という思いがあり、字画もよかったので「孔伸」と命名したそうです。

 これからも親の思いをしっかり受け止め、頑張っていきます。

 

三好支店 山田 宇彦

 私の名前は、宇彦と書いて「タカヒコ」と読みます。

ほとんどの人が「ウヒコ?」と聞いてきますが、読めなくても仕方がないと思います。名前の由来を詳しく親に聞いたことがないので、はっきりとした事は分かりませんが、父や兄にも名前に「ウ冠」の付いた字と「彦」が入っているので、家族の繋がりを考えての名前だと思います。

 これを機に自分の名前の由来について父に聞いてみたいと思います。

 

車輌部 山田 季良

 私の名前は「季良(きよし)」といいます。

今まで親にどうしてこの名前を付けたのか聞いたこともなかったので、今となっては分からないのですが、よく人からは読み方を間違えられました。

 頭の季の字を李と間違えられたり、印鑑を作った時には秀良と作られてしまったり、病院などでは読み間違われたために後回しになったりもしました。

 でもこの名前を辞書で調べたら、春夏秋冬の季節が良いという意味があり、その時々の季節の良さを感じることができるという氣がして、自分の名前が好きになりました。

 

本 社 成田 良子

 私の名前は、今は亡き母が付けてくれました。

名前の由来を母から聞いた時、平凡ですが自分の名前が好きになりました。私は終戦後の大変な時代に生まれました。

 当時は昭和天皇の時代で皇后のお名前は「良子」と書いて「ながこ」と読まれたそうです。生まれてきた私に皇后と同じ名前はさすがに恐れ多く、「良子」と書いて「りょうこ」と名付けたそうです。

 新しい時代の幕開けに、それは母の精一杯の愛情の証だったろうと思われます。

 8人兄弟の私達に母はいつも誇らしげに「親の子供への愛情は8分の1になるんじゃなくて、8倍に増すものだよ」と話していました。

 子育てに難しい理屈のいらない良き時代の考え方など、今は通用しないのかも知れませんね。

 

 


HOME  頁トップに戻る