私が社会人としてスタートしたのは、大阪万博のあった1970年でした。
世の中は東京オリンピック、大阪万博、札幌オリンピックと日本が世界に名を拡げ、産業界も自動車、家電、建築関連などが高度成長の真っ只中でした。
某電機メーカーにお世話になる事になり、豊川市に配属され、最初にいただいた給料が18,500円でした。
それで母親に何か送った事を覚えています。自分で最初に買ったものはステレオでした。
会社ではスポーツも盛んで、毎日1〜2時間サッカー部で汗を流していました。
寮では全国の方言が飛び交っていました。優しかった先輩や上司ばかりで、恐い人はほとんどいませんでした。
40年経った今でも当時の直属の上司の方の言葉(教え)を覚えています。
それは「下駄をはいた人生は送るな」というもので、自分の力以上を無理に周囲に見せるな!それは自分を追い込むばかりであるということでした。
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