→ 父・母への手紙


黒川支店  森田 和敏

 人生28年、愛読書は少年ジャンプという自分からの脱却と考え方の幅を拡げるため、今年は絵馬に「本を読む」と書きました。

はじめは本屋に行っても、何を買えばいいのか分からず、結局漫画を買ってしまう日々が続きました。

しかし、お見舞のお礼に図書カードをいただき、さすがにこれで漫画は買えないと谷川副支店長に相談をして『国盗り物語』という本を買いました。

読み始めは久しく見なかった活字に目がチカチカしましたが物語が進むにつれ、ページをめくるペースも早くなりました。

私は途中で飽きてしまう事が多いのですが、図書カードをくださった方の顔を思い浮かべながら、必ず読破し、自分の材料を増やして行きます。

 

金山支店 治田 和徳

 昨年事故を起こした時から今までに、たくさんの方から事故についての話やアドバイスをいただきました。

正直すべての事が分かったかと言えば、分からない事の方が多いですが、みなさんからのアドバイスを理解し、実践していけるように「一つひとつ確実に行う」を今年の自分の目標にしました。

今の私に欠けていると感じることは、新しい仕事をする時にあせって、いつもできていることができなくなってしまう事です。

あせる氣持ちをコントロールできるよう、今自分に出来る事を一つひとつ確実に行い、人から聞いて大切だと感じた事を身につけ安全意識を高めて行きます。

 

西春支店  西川 明男

 今年度掲げた目標は「先を考えて、段取り良く物事に取り組んで行く」です。私の横着な部分のひとつに「何とかなるさ」という考えがあり、必要な事を後回しにし、目先の事を優先してしまう所があります。

 今年は後回しにせずにしっかりと何を優先するのか考えて行こうと思っていました。しかし、4カ月が経った今、振り返ってみるとあまり変化していない私自身がいます。

先日も目先の都合を優先させ約束事を破り、みんなに迷惑を掛けました。
 目標を絵馬だけでなく、目につくように社員手帳や机にも挟み込み、常に意識できるように自分自身を律して行きます。

今年だけでなく、残りの人生を良いものとするための目標として掲げて行きます。


港支店 積  勝美

  今年の目標は「健康第一」と絵馬に書きました。

年々身体は誰しも衰えて行きますが、健康であれば仕事も日々の生活も充実すると思います。

また、仕事での安全面や仲間とのコミュニケーションを計る事にも影響してくるので、本当に健康であることは大切だと感じています。

今年の残りも絶対に無事故無違反を達成し、遅刻やミスも絶対にしないように、身体を大切にし、支店の仲間に少しでも目標とされる人になれるよう、一日一日を大切に頑張って行きます。

 

犬山支店 有安 秀樹

 私が絵馬に書いた言葉は「静」です。

常に冷静に落ち着いた行動と判断を意識するためにという思いから書きました。安全などに対する価値観は、自分の中にある「見方、考え方」が基になっています。

日々の業務の中で慌てたり、焦ったりする場面は確かにあります。

特に時間に追われている時は、冷静な判断ができなくなります。

「走れば何とか間に合う」と考えるのか「連絡を入れてから、ゆとりを持って行く」と考えるかでは、安全の度合いも断然変わってきます。

安全を自分で創って行けるような行動をしていきます。
 毎年絵馬を用意してくださっている三好支店の皆様に感謝とともに、いつも「静」という字を見て、必ず無事故に繋げて行きます。

 

中川支店 渡辺 健二

 私が今年立てた目標は「何事にも勇氣を持って行動して行く」です。

特に仲間との信頼関係を作って行くために、良い事も悪い事もその場ではっきりと自分の氣持ちを伝えるようにしています。

時に相手の話を聞かずに感情的になり、相手に嫌な思いをさせたり、考え方が浅いため相手が理解、納得出来る伝え方が出来ない事があります。

今年度は支店総括をさせていただく事もあり、支店テーマの「正しい考え方、判断を身に付けお互いが勇氣を持って行動出来る支店にする」をまず私自身が行動に移し実践して行きます。

 

大高支店 関尾 尚行

 もともと早とちりな性格なので今年は、「すべてにおいて慎重に」を目標に掲げました。

事故も失敗もなく順調な滑り出しでしたが、ある失敗でこの目標をもっと掘り下げて設定し直そうと思いましした。

それは、ただ言われた事を慎重にやるだけで自分の考えが入っていなかったのではと感じ、相手の言ったことや物事の意味を理解・確認しないまま受け入れていました。

このままでは、大事故に繋がりかねません。「相手の話を理解してきく」ことを絵馬に書き足して、慎重に行ってゆきます。

 

春日井支店 古都 勝也

 今年の目標として、絵馬に書いたのは「健康第一」です。

正直、あまり思い浮かばなかったので、なんとなくで書いてしまいました。

ただ今考えてみるととても大切なことだと感じます。

私は3月に肺のあたりが痛くなり、あまりの痛みに動くことができなくなり救急車で運ばれ、そのまま入院をすることになりました。

原因は肺に炎症がおきたためでした。

普段から腰痛がある私は、痛み止めを飲んで仕事をしていたので、発見が遅れたと医者から診断を受けました。

退院してからは、痛み止めがなくても、業務ができるよう支店の仲間に協力していただき工夫をしてもらっています。

これからは無理をせず、みんなと相談をしながら頑張って行きます。


岡崎支店 石垣 光彦

 私が今年立てた目標は「安全第一」です。

約4カ月が過ぎ、目標をもう少し具体的にしようと思い「初心を忘れないようにする」をつけ加えました。車の運転にしても、業務にしても、初心を忘れないように取り組んで行きます。

 大宝に入社して3年ほどが経ち、業務や支店の雰囲気にも慣れてきましたが、慣れたころが一場危ないと思うので、今年は「安全第一」と「初心をわすれない」を目標に頑張って行きます。

 

四日市支店 近藤 勝彦

 私の目標は「前向きになる」です。見た事や聞いた事をできるだけ理解しようと思うのですが、自分とは違う意見や指摘を聞いた時、すぐに態度に出してしまいます。

お互いの考えを話し合えば、すれ違いがもっと減って、物事もスムーズに進みます。互いの関係も良くなって行くと思うのですが、つい話し合いを避けてしまうことがあります。
 例えば業務が終わり帰ろうと思っている時に、急な業務を頼まれるとついムッとしてしまう時があります。

でも「なぜ私にその業務を頼んだのか?」「私がやらなければ誰かの負担が大きくなってしまう」などを、話をしてきちんと理解できると氣持ちも楽になり、前向きに取り組む事ができます。

少しずつでも相手を受け入れる努力をして行きます。

 

三好支店 林 裕之

 私が今年の目標として絵馬に書いた言葉は「安全」です。

一年間を通してミスや事故なく無事に過ごして行く事は大変難しいことだと思います。
 今年から流通職員として倉庫で仕事をしています。

多くの人が作業をしている中でリフトに乗る時は状況をしっかり確認して、安全に仕事ができるように慎重に運転をしています。

また、仕事をして行く上でパートナー社員の方達とよく話をすることも心がけています。共同作業をお互いが楽しく進めて行くためには、コミュニケーションが大切です。

今年一年、安全第一で無事に終える事を目標に取り組んで行きます。

 

本社 営業推進本部 久田 真澄

  1年を通して「心に残るもの」や「意図的に行動したこと」が少ないままではいけないと思い、自分で決めた事は最後までやり遂げることを目標として、今年度は「努力」を掲げました。

しかし実際に新年度がスタートしてからも、途中で苦しくなって諦めたり、ウソ、ごまかしをして、その場しのぎの発言や行動をしている時があります。

周りの人には分かっているのに、一所懸命ウソ、ごまかしをする自分を恥ずかしく感じます。

ウソ、ごまかしをせず誠実な自分を目指し、努力をおしまないようにして行きます。

 

車輌部 阿部 菊夫

 今年度の目標は「正しい判断、正しい行動」です。

正しい判断・行動とは何か?を今までの自分は、与えられた仕事を仲間や会社に迷惑をかけずに行動することだと思っていました。

しかしそれは狭い範囲の中で自分を守るための、自己中心的な考えである事に氣付きました。

人は一人では何もできません。視野を広く持って、周りの人に助けられている事に感謝の氣持ちを忘れないようにして行きます。
 今私は相手の顔を見て挨拶することを心がけています。

自信を持って活動する事で小グループ活動や仲間との会話に弾みが出て良い方向に向かっています。

今までは苦手な人や物事から逃げてばかりいましたが、何事に対しても逃げない自分を作って行きます。


 

 

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黒川支店  長野 光隆

 私の両親は現在、神奈川県で暮らしています。

三人兄弟の三男として生まれた私は、親の愛情をあまり感じることなく育ちました。しかし、私自身親となり、子供が生まれ、育てていく中で親の愛情やありがたみを感じました。
 父が何度も命を失いかけた時に母が「この人は、こんな事では死なない」と言い続けているのを目の当たりにした時に夫婦の愛を感じ、両親は固い絆で結ばれていると思いました。

自由奔放な父と、ひまわりのように明るい母を私は尊敬しています。

私が離婚する時も黙って受け入れてくれ本当に感謝しています。

「いつも迷惑をかけていますが、これからも仲良くケンカをしながら長生きして下さい。」

 

金山支店 宮崎 利夫

 母さん、生きていたら92歳になるね。私も59歳になりました。

私が小学校の3年生の時から、5人兄弟の私たちを女手一つで育ててくれて本当にありがとう。
 父さんを亡くし、泣きながら寝ていた母さんの頭に、丸い脱毛を見た時は子供心に大変さを感じていました。

子供の頃から言われ、私の頭の中に残っている「女を泣かす男になるな」「人を恨むな」の言葉。まだまだ程遠いですが、いつか逢えたら、あなたの子供で良かったと言いたいです。

 本当にありがとう。

 

西春支店  昊  天昊 (ゴ テンホウ)

 久し振りに母に会って、白髪もしわもまた増えていた。

昔と同じなのは笑顔と料理。母の料理は美味しい。

新婚時代「やっぱり、おふくろの味とは違うな」という何気ない言葉を口にしたばかりに妻を怒らせ、ケンカになった事が何度かある。

妻は、好物を作って私を喜ばせようと材料も味付けも私の母に聞いて、その通りに作ったのに「やっぱり違う」。

妻を傷付けようと口にしたセリフではないのですが・・・

つい口に出てしまったのです。
 「おふくろの味ってどんな味?」考えてみれば、母が家族のためにいろいろ工夫をし、思いやりを込めて料理を作るから美味しいというのは世界共通のことです。
 お母さんありがとう。長生きをして、ずっとずっと笑顔で側にいて下さい。


港支店 羽生 弘記

 私は九州の離島の出身です。

今、実家には母親しかいません。学校を卒業してからの私は、京都、三重、名古屋などで一人暮らしをしていました。

そんな私の所に母は、色々な季節の物を送ってくれます。

その中にはこっちで買った方が安く買えるインスタントラーメン等も入っています。年金暮らしの母が田舎の高いラーメンを送ってくれるのです。

そんな親心を思うと涙が出てきます。

同じラーメンでも母が送ってくれた物の方が美味しく感じます。
 これから先、元氣な身体でほんの少しでもいいから長生きしてください。

いつもありがとうございます。

 

犬山支店 河合 逸郎

 私が小学校に入学する前に両親が離婚し、私は高校を卒業するまで父親に育ててもらいました。

母は年に2回ほど私と兄に会いに来てくれました。

今でも覚えているのが、映画好きだった父が、ある映画のシーンで息子のために父親が朝食にフレンチトーストを作っていたのを観て、さっそく作って食べさせてくれました。

その味は、それまでに食べたどんなお菓子よりも甘くて、どんな料理よりも美味しい物でした。

家は農家で貧乏でしたが、同じ年頃の友人は誰も食べた事がないだろうと、一人優越感に浸り、父親に感謝していました。

それ以外にも鬼まんじゅうや蒸しパン等もよく作ってくれた父ですが、4年前に亡くなりました。

 

中川支店 鮫島 昭人

 今回原稿を書くにあたって、両親への感謝の氣持ちと言われてもあまりピンと来るものがありませんでした。

日々感謝はしているのですが、口に出して伝えたことがありませんでした。

私がこうして元氣で健康でいられるのは、両親が厳しい中にも愛情を持って育ててくれたおかげだと思います。

今では私も結婚をし、子供も2人いて幸せに暮らしています。

この生活も陰で両親が支えてくれているから成り立っているものと感じています。今までも、これからも苦労をかけますが、本当に感謝しています。

 これからも仲良く身体に氣を付けてください。

 

大高支店 今林  稔

娘 実優ちゃん  息子 樹哉くん から
 私のお父さんは、おこるとすごくこわいです。

ですが、おこっていない時は、やさしいお父さんです。

でも、私はあまりお父さんに会うことがありません。

だけど、お父さんが休みの日は、プールにつれていってくれます。
 お父さんは、休みの日が少ないので、あまりあそんだりできないけど、すごく、すごくやさしいお父さんです。

 

春日井支店 永井 幹大

 休みの日に家にいると父親と顔を合わすことが多くなり、父から「今日は休みか?」「最近はゆっくりしているな」などと声をかけられます。

以前は声をかけられても氣にすることはなかったのですが、「もしかしたら、今まで心配をさせていたのかな?」と最近は考えるようになりました。

いろいろと趣味の多い両親はご飯を食べている時などに、旅行に行った話や今度の休みの日には友達と遊びに行くなどの話を聞かせてくれます。

「元氣だなぁ」と感心をさせられるとともに、両親が元気なおかげで安心して働けるのだと思えてきます。

だから、私も両親にあまり心配をかけないように気を付けてがんばって行きたいと思います。


岡崎支店 金山 純也

 父と母に伝えたい事は、ただただ「ありがとう」という感謝の氣持ちです。

父は仕事柄帰りも遅く、ほとんど顔を合わせる事がなく、たまに顔を合わせればケンカになり、父に対する反抗期が長かったと思います。

でも自分が社会に出て働き、家庭を持つようになってからは父に対する見方が変わってきました。

私達を育てるために一所懸命だった父にあの頃はひどい事をしてきたと思い、素直に謝りたいと思います「ごめんなさい」。

そして母にも、兄弟の中で私が一番迷惑をかけてきましたが、嫌な顔をせず今まで育ててくれて、本当に感謝しています。

今さらですが、2人の息子で本当に良かったと思います。

普段口には出しませんが「ありがとう」。

これからも2人仲良く、いつまでも元氣でいてください。

 

四日市支店 藤原 伸安

 今までは氣付きませんでしたが、自分が結婚をして、子供を持って初めて氣付いた事があります。

それは家族を守り、子供を育てて行く事は大変だという事です。

 昔の自分を思い返してみると、両親にはずいぶん心配と迷惑をかけてきたと反省させられます。

親孝行といえる事をまともにした事もなく、反抗的な態度しかとって来ませんでした。

しかし、今こうして元氣でいられるのも両親に大切に育ててもらったおかげだと思えるようになりました。

そして、私の子供が私にしてくれて私が嬉しいと思う事を両親にすれば、きっと嬉しいと思ってくれるはずです。

今まで出来なかった親孝行を、これからして行きたいと思います。

 

三好支店 田中 一雄

 今回のテーマを利用して、お父さんに感謝の氣持ちを手紙で伝えたいと思います。
 お父さん随分御無沙汰しております。帰省するたび元氣で明るい顔を見ると、とても安心です。

元氣でいてくれる事が何よりも嬉しいです。

お父さんは常に私たちのことを心配し、困った時には相談に乗り、援助していただき感謝しています。

子供はいくつになっても子供だと言っているお父さん。

私も定年を迎える年齢になりましたよ。

これから少しは時間にゆとりが持てるので、親孝行をしたいと思っていますので、楽しみに待っていてください。

くれぐれもお体を大切になさってください。

 

本社 営業推進本部 落合 政春

 「お父〜(おと〜)、お母〜(おか〜)」と親父とお袋を呼んでいた頃を懐かしく思い出します。

親父には、姉と夜更かしをして叱られ、よく拳骨をもらいました(あれは痛かったなぁ)。お袋には心配や迷惑ばかりをかけ、泣かせてばかりいました。

 今考えれば、職人で身体を使う仕事をしていた親父は疲労が絶えなかっただろうし、共働きで仕事にも家事にも忙しかったお袋の苦労も知らずに、兄弟揃って心配ばかりをかけ申し訳なかった思います。

今では両親の苦労を知ることができ、感謝の氣持ちでいっぱいです。

両親ともどもすっかりお爺ちゃん、お婆ちゃんとなりましたが、車椅子で生活するお袋を支えている親父を見ていると、こんな夫婦もいいなぁと思います。

 身体に氣を付けていつまでも長生きしてください。

 

車輌部 部長 小笠原 正俊

 私は父が50歳、母が38歳の時に生まれ、小学生の時までは何不自由なく過ごしていました。

中学生になるとお金を使う遊びを覚え、毎月一定額のお小遣いに不満を感じ、朝は新聞配達、夜は駐車場の整理係とアルバイトに精を出しました。

なぜ私の親はお小遣いをもっとくれないのか?

他の友達を羨ましく感じる事もありました。
 でも今思うと、働いて収入を得ることの大変さと厳しさを、知らず知らずのうちに教えていたのかも知れません。

一時は恨んだ事もありましたが、結婚し、子供ができ、現在があるのも両親のおかげだと思います。

山岡の山荘に写真を飾り、いつも感謝しながら、もし健在なら喜んで来てくれるだろうと思っています。

現在4歳になる孫の武流(たける)も、親に感謝出来る人間になってほしいと願っています。


 

 


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