一番遠くに行った思い出


黒川支店  長谷川 功

 夏休みには一日中蝉捕りをしていました。

裏の山田さんの家の庭は広くて蝉がいっぱい集まります。

こっそり入って「コラッ!誰だ」とおばあさんによく怒られました。

あの頃はゴム草履で過ごしていたので、木に登って高い所の蝉を捕っている時に右足の踵を蜂に刺され、痛くて2日位歩けなくなった事もありました。 遠くは鶴舞公園の古墳場跡の大木にも行き、隣の池に足を浸けて休んでいた時に、滑って池に落ちた事も思い出します。

蝉の捕り方には、タモ捕りとモチ捕りがありましたが、モチ捕りだと蝉同士がくっついてしまうのが嫌で、私はタモ捕りの方が好きでした。

 小学生時代の楽しい思い出です。

 

金山支店 日比野 秀行

 私は小学校4年から高校2年まで、金山支店の近くに住んでいました。

今から40数年も前の事です。

当時金山支店の前の道路はまだ舗装されてなく、車の通りも少なかったので、JRのガード(当時は国鉄のガードでしたが)に野球のボールをぶつけて遊んだり、キャチボールなどをしました。
 また近くの向田公園は狭い公園でしたが、プラスチック製のボールを使って三角ベースを暗くなるまでやり、帰りには角にあった駄菓子屋で三角のチューブを凍らせたジュース(確か10円くらいだったと思います)を買って、それをかじりながら帰るのが毎日の楽しみでした。

 夏の夕暮れの懐かしい思い出です。

 

西春支店 一宮営業所  増田 玲奈

 私の子供の頃の思い出は、祖母の家の近所の公園で兄と遊んだ事です。

当時、私の家は月に2〜3回岐阜県にある祖母の家に泊まりに行っていて、その時に兄と2人でブランコや滑り台、夏には水遊びをよくしました。

水遊びをした後に、よく祖母や母に怒られた事や、好奇心旺盛で外に出ると勝手にどこへでも行ってしまい、家族のみんなに呆れられたことを今でも良く覚えています。
 あの頃は怒られたり、呆れられたりする度に泣いたり、スネたりしていましたが、少し成長した今となっては、泣いた事もスネた事も良い思い出です。


港支店 高田 雄志

 子供の頃の遊びで印象に残っているのは、田舎にある親戚の家に遊びに行った時に川で遊んだ事です。

プールで泳ぐのと違い、高い岩場から飛び込んだり、魚を追いこんで手で捕まえたりと自然の中でしかできない遊びをしました。

川だけでなく山にも行き、珍しい昆虫を捕ったり木の実を食べたりしました。
 ここ最近は、その親戚の家に遊びに行く事はなくなりましたが、今年の夏は久し振りに田舎に行って、子供の頃を思い出して遊んでみようと思います。

 

犬山支店 上岡 和男

 私の生まれた所は、高知県の四国カルストの近くです。

小学校、中学校の頃は、清流四万十川の源流で自作の釣竿で魚を釣ったり、山に罠を仕掛けて野鳥を捕ったりしました。

今でも思い出すのが、小学4年生の時、夜にはえ縄を仕掛けて大きなウナギを捕った事と、猿の山くだりと言う遊びで、山の急斜面で足を地面につけずに、木から木へと飛び移りながら山を下って行くというスリル満点の遊びをした事です。
 自然の中で遊ぶのは楽しいですが、自然と人間にはルールがあり、それを守らないと大変な事になります。

これからも自然を大事にして行こうと思います。

 

中川支店 長谷川達志

 みなさんは、真夜中の学校に行った事はありますか?私は小学校5年の頃、友達10人程で「肝試し」に行きました。

どの学校にもある音楽室と理科室の伝説の検証に行ったのですが、夜の教室は想像以上に暗く恐怖に溢れていました。

みんな内心は戻りたいのですが、小学生ながら男のプライドから戻ろうと言い出せずにいました。

そこに、天井から「ガタッ!」という物音がした瞬間、ウサイン・ボルトに勝るスピードでみんな一斉に叫びながら舎外に逃げました。

一息してから誰かが言った「また行こうぜ」の言葉も虚しく聞こえました。

それ以後、肝試しに行く不届き者はいませんでした。

 

大高支店 坂上 稔明

 子供の頃の遊びと言われても、友達の家や公園で遊んだり、野球をしたり、プールに行ったくらいで、大した事はしていなかったなぁと思いましたが、一つありました。

小学校6年生の夏に自宅前で花火をした時に、湿気って使えなかった花火の火薬を地面に撒いて火を着けたら綺麗だろうと着火したら、目の前が真っ白になり、右手とおでこをヤケドし、前髪が焦げてしまいました。

両親には前髪が焼けていることでバレてしまい叱られました。
 今思えば、火事や大事にならなくて良かったのと、物事を知らない子供の行動は、とても恐ろしい事だと思います。

 

春日井支店支店長 井潟 秋成

 私は名古屋市中村区稲葉地で生まれ育ち、今でもそこに住んでいます。

子供の頃と比べると田んぼや畑は減り、新しい家が増えましたが、全体的な町の雰囲気はあまり変わっていません。

今でも町の中を歩けば、昔の事を思い出します。
 夏の遊びと言えばプールで泳ぐ事でした。近くに大きな公園があり、その中に市民プールがありました。

確か1時間10円でした。毎日のようにプールに行きましたが、1時間を超えると、もう10円払わなければいけないので、いつも時計を氣にして遊んでいました。時間を氣にするクセはその時についたのかも知れません。


岡崎支店 原田 重高

 新人の原田です。新人と言ってもずいぶんおじさんなのですが・・・。
 子供の頃の遊びといえば、外で遊ぶ事しかなかった時代でした。

その中で一番の思い出は、友達4人と池に魚釣りに行った時のことです。

今でも忘れることができないくらい感動をしました。

その日は朝から池に行き、投げ竿を出して釣りをしていたのですが、なかなか釣れないので、水遊びをしていました。

すると置いてあった竿がキューンと持っていかれたので、慌てて引き上げようとしたのですが、なかなか上がらず30分程の格闘の末、釣り上げたのは60cm級のコイでした。

今でも忘れられない思い出です。

 

四日市支店 川越 かよ子

 アイスクリームを商っていた実家は夏になると大忙し。

昼夜を問わずトラックが出入りしていました。冷凍車も殆どない頃、後ろの扉が開くとひんやりとした空気がこぼれていました。

一所懸命背伸びをして中をのぞくと、荷物が全部降りた後に白い塊が何個か転がっていました。

軍手をした乗務員さんがそれを拾い集めると、手から白い煙がこぼれ落ちます。ちょうだいをする私に「やけどをするから触っちゃだめだよ」と言いながら小さな破片を溝に蹴り入れると、泡と一緒に煙がモクモク。

 多忙な両親にかまってもらえなかった幼い頃の不思議でワクワクした思い出です。

 

三好支店 橋本 浩平

 私の夏の思い出は、家族でキャンプに行ったことです。

キャンプ場では、テントを張って、バーベキューをしたり、川で泳いだりしました。またセミやカブトムシを虫カゴいっぱいに採って遊んだ事をよく覚えています。
 それから小学1年生から始めた野球の練習を朝から晩まで、甲子園に行く事を夢見て、プールや海に行くのを我慢して熱中していました。

残念ながら甲子園は断念しましたが、今でも夏になると甲子園でがんばっている高校球児を応援しながら辛かった当時の練習を思い出します。

 

本社 経理部 成田 良子

 私には5人の姉がいます。

子供の頃は姉達が着た服を最後に私が着るのが習慣でしたが、姉達は新しい服なのに、なぜ私はお下がりばかりなのと不満でした。

母はその頃ミシンの内職を朝から晩まで忙しくしていて、私の不満を聞いてもらう時間もありませんでした。
 しかしあるお盆の日、みんなでお墓参りに出かける朝、目を覚ますと私の枕元に新しいワンピースがたたんで置いてありました。

袖にはまるで蝶々のようなフリルの付いた可愛い服でした。

その服を着てお墓参りに行った時は嬉しくて、そのまま空を飛んで行きたいくらいでした。

 今思うと、母はきっと夜なべをして作ってくれたのだと思います。

そんな優しくて強かった母の生き方が今は少し分かる氣がします。

 

車輌部 北 昌広

 夏には、山、川、海のキャンプ、冬にはスキーによく連れて行ってもらいました。

キャンプと言っても、キャンプ場に行くのではなく、ゲリラキャンプで電気もなければ、トイレもない場所でのキャンプで、飲み水は沢の水でした。

人にその事を話すと「貧乏くさい」と言われますが、今も遊び方の基本はまったく変わっていません。

親に教えてもらった遊びを自分の子供にも教えています(あまり無茶はできませんが・・)。自然ほど恐いものはありませんが、自然ほど優しく、綺麗なものもありません。

今は物が揃い過ぎていて、みんな同じに見えます。

 子供が大きくなったら、米と塩だけ持って出掛けたいと思っています。


 

 

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黒川支店  近藤 洋

 先日仕事で北海道に行ってきました。

舞鶴までトラックで陸走し、そこからフェリーで北海道まで行きました。

太田安全委員と一緒に行ったのですが、2人とも初めての事でドキドキしながら向かいました。

フェリーでは片道22時間と、ちょっと辛かったものの同業の乗務職員の方との出会いがあるなど楽しく過ごせました。

 北海道で一泊したのですが、お客様から食事の誘いをただき、一緒に北海道ならではのビックリするほど美味しい、生のジンギスカンを食べました。

 5日間の行程の中で、ご当地物を食べたりなど人生初!という経験をさせていただき良い勉強になりました。

 

金山支店 中村 徳己

 今から十数年前になりますが名古屋港から太平洋フェリーで北海道へ行きました。

船中2泊の間に仙台、苫小牧を経由し、行き先は知床旅情で知られる知床岬へ。

途中で観光地を散策、ウロトという港町から観光船で知床岬へ・・・のはずだったのですが、海が大荒れで欠航、行けなくなってしまい残念でしたが、北海道の広い大地、広い牧場や畑、何キロも続く真っ直ぐな道、そのスケールの大きさに驚き、感動しました。これが私の一番遠くに行った思い出です。
 いつか秘境知床の雄大な自然の景観を体験できる、知床岬にハマナスの花が咲く頃に行ってみたいと思っています。

 

西春支店  森田  斎

 北海道へ3泊4日の旅行の思い出です。

私の女房の姉妹での4家族で旅に出かけました。

1日目は新千歳空港からレンタカーを借りて旭川、富良野、大雪山へ行き、2日目はオホーツク紋別、網走、知床、摩周湖、阿寒湖。

3日目には釧路湿原、夕張、札幌。最終日に札幌と小樽を廻り新千歳空港から帰ってきました。
 4日間運転をして思った事は、とにかく一面広くて、高原はどこまでも一本道で、本当に「北海道はでっかいどぉ」という感じでした。

旅行中は絶対に無事故でという思いで安全運転に徹していました。

 今でも姉妹みんなから感謝され嬉しく楽しい旅の思い出です。


港支店 服部 紀之

 私が行った一番遠くの思い出は、大阪西区にある京セラドームです。

夏場の野球観戦は名古屋ドームが多いのですが、交流戦が始まると近所の仲間達と日程を合わせて遠征に行きます。

いつも観戦している名古屋ドームと違い、新鮮な空気を味わえるので応援にも力が入ります。

大阪なら日帰りでも行けるので氣楽に行けますが、いつの日か福岡ドームや札幌ドームなどもっと遠くまで遠征したいと思っています。
 子供が野球に興味がないので少し寂しいですが、家族揃って遠征に行けるようにもなりたいです。

 

犬山支店 石川 猛

 私が今まで行った所で一番遠かったのは、10年以上前に行ったインドネシアのバリ島です。

友人がバリ島に住んでいる知人の所へ遊びに行く時に私も同行させていただきました。

初日に現地の人が集まる屋台に連れて行ってもらいましたが、食が合わなかったのか、あまり体調が良くなく、腹痛でほとんど寝ていました。
 帰国した時、小牧空港で春日井支店の酒井さんとバッタリと会って話をすると、バリ島から同じ飛行機で帰ってきたという事でお互いにビックリした事が印象に残っています。

 それまでは顔と名前を知っている程度でしたが、その事がきっかけで今も仲良くさせていただいています。

 

中川支店 中川 雅博

 一番遠くに行った場所は、25年も前になりますが新婚旅行で行ったハワイです。当時はまで1ドルが250〜260円だった記憶があります。

初めての海外で言葉の事とか、色々と心配しましたが、空港、ホテル、レストランなどありとあらゆるところに日本語表示があり、日本語も通じ「Wellcome Japanese」という感じで驚きました。

1週間程の滞在でしたが、青い空、青い海、白い砂浜、南国独特のまったりとした雰囲気をしっかり堪能できました。

 死ぬまでに是非もう一度行ってみたい場所です。

 

大高支店 稲熊 道明

 私が初めて飛行機に乗って行った場所は沖縄でした。

沖縄弁で「清(きよ)ら(しい)海」という意味の美ら海水族館に行きました。

いくつもの水槽があり、世界最大級の「黒潮の海」の大水槽や、「危険ザメの海」という水槽には沖縄近海にも生息する危険ザメの一種であるオオメジロザメやイタチザメなどサメ数種類が飼育されていました。

中でも世界で初めて長期飼育に成功したジンベエザメはすごい迫力でした。水族館以外にもパイナップルパークや万座毛を観光しました。

 今度は孫を連れて沖縄旅行に行こうと思ってます。

 

春日井支店 酒井 貴広

 インドネシアに行った時の思い出です。

とあるお土産屋さんに入った時、店の中にはオーストラリア人と日本人がほとんどで、売り子は小学校高学年ぐらいの女の子でした。

英語と日本語を使い分け、お客さんと応対している姿にびっくりさせられました。私は日本語ですらままならないのに・・・。
 インドネシアの小学校(全部ではありませんが)では、日本語、英語の授業が毎日あるそうです。

 日本の学力低下が問題となっている今、私自身がその小学生に負けている現実がありました。ホロ苦い南の島の思い出でした。


岡崎支店 金山 純也

 一番遠くに行ったのは、北海道の札幌です。

訪れた理由はライブハウスでライブをする事でした。

憧れていたアーティストがそこでよくライブをするので、どうしても同じステージで演奏してみたいと思い、メンバーに無理を行ってツアーをしました。
 狭くて小さなところでしたが、音も雰囲気も最高で今でも思い出に残っています。ライブが終わってからは地元のバンドの人に打ち上げにも誘っていただき、美味しい酒も飲め、楽しい夜でした。

 あたたかい人ばかりでまた行ってみたいと思う場所です。

 

四日市支店 石崎 好恵

 今から18年前、主人は大変忙しく、休日も会社に行く日々でした。

もう海外へ脱出するしかないと思い、当時11歳、9歳、6歳の子供達と私達夫婦でグアム島へ出発しました。

子供達は初めての海外だったので、パスポート用の写真を撮ったり、小学校入学直前の末娘はひらがなで自分のサインを練習したりしていました。  初めてのグアムは海の透明度が高く、潜水艦に乗って見た色鮮やかな魚の群れに子供達も大ハシャギしていたのが記憶に残っています。

 今度は子供達の家族と一緒に、グアム島に行ってみたいです。

 

三好支店 フラガ サチコ

 私はブラジル人です。

ブラジルから日本に来た時、飛行機で24時間かかりました。

日本で一番氣に入ったのは雪でした。ブラジルでは見たことはありませんでした。また桜の花はとても素晴らしいです。

私の祖国ブラジルにも素晴らしい場所がたくさんあります。

イグアスの滝、パンタナールやリオデジャネイロはとても綺麗です。

また一年中暖かいブラジルには美味しい食べ物やフルーツもたくさんあります。
 日本に来てから16年経ち3人の孫は日本に来てから生まれました。

私は家族をすごく愛しています。

日本は静かで過ごしやすい国です。

私は日本に来て、大宝で働かせてもらえて感謝しています。

 

本社 経理部 新美 尚美

 家族揃って夏休みに行ったハワイ旅行です。

初めての海外旅行に行くために、パスポートの写真を撮る事から始まって、旅行の準備に時間を費やしソワソワ。

そしてオアフ島に着くと観光や買い物に大忙しでした。

 なかでもリムジンの出迎えでサンセットクルージングに参加し船上で家族みんなで見た海に沈む夕日に感動したのとハワイ島のキラウエア火山。

広大な土地での月面着陸の訓練場所、天文台、黒砂海岸など日常とかけ離れた空間と時間を家族揃って過ごせた事が一番良い思い出となっています。

 

車輌部 班長 久保田 紀之

 家族4人でオーストラリアのケアンズに行きました。

熱帯雨林とサンゴ礁に囲まれた自然の宝庫の小さな街です。

コアラを抱っこしたり、世界遺産のグレート・バリア・リーフのグリーン島で自然を体感しながらの散策をし、2つめの世界遺産キュランダでキュランダ観光鉄道に乗りました。

この鉄道は、テレビの世界の車窓からのオープニングで10年間放映されていたものです。

また南十字星や先住民アボリジニのダンスパフォーマンスなども楽しみました。

 旅行を通じて感じた事は、世界共通語である英語の大切さです。

旅行中言葉が分からず苦労しました。少しでも英語が分かれば、さらに楽しい旅行になったと思います。

また行ってみたい場所です。

 

 

 


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