氣づくか氣づかないかで人生が変わる
「氣づき」は変化、成長、改善、変革をするための原点(スタート)です。
今のままの自分でよしとすれば、氣づくことはありません。氣づくことを諦めた時の年齢で、自分の人間としての成長は止まってしまうのです。私は今年60歳になりますが、少しでももの事が分りたいと思い、本を読んだりものを考えたりして、人間としてのレベルを上げるための勉強をし続けています。学ばないということは、自分の人生を捨てることなのです。
氣づきは自分の人生を振り返る「内観」と、外部からの刺激「外観」との組み合わせによって深まります。ただし、同じ現象を見ても「あなたは元気だね」という人もいれば、「あなたは野蛮だね」という人もいます。人間は誉められる方が心地よいのですが、自分自身の内面に氣づくためには、厳しくても正しい刺激を求めないてゆくことが必要です。
氣づくことは辛いこと
自分にとって大切だと思っていても、氣づくことを嫌がるのはなぜでしょうか。それは自分自身にとって痛感じることが多いからです。また、少し氣づき始めると、氣づいていない人の未熟さ(今まで見えなかった個人や組織の弱点や矛盾)が氣になって仕方ありません。
そして、自分も含め人間のドロドロした部分が浮かび上がって感じられるのです。これらは理屈だけでは何ともならない部分であり、それが嫌で考えることから逃げてしまう場合もあります。それらを自分でコントロールしてゆくために必要なものが「理性」です。学び訓練しなければ身につきません。
氣づきによって得られるもの
@ 氣づきが多くなればなるほど自分が変化、成長し、結果として人間性が高まる
A 自分がなぜ生きるのかがはっきりしてくる
B 周りに対する配慮(目配り、氣配り、心配りなど)が出来るようになり、より良い人間関係ができる。
C 仕事に対する集中力が高くなる=事故を自ら起す確率が低くなる
D 人生が面白くなる
E つくった明るさではなく、本当の明るさが身に付く。心の底から楽しい、うれしいと思えるようになる。
頭の中の棚おろし
氣づきがないと、脳みそに「カス」だけをためこんで、「まともなこと」を考える余裕がなくなってしまいます。「カス」とは“阿呆さ”(もの事の本質が分からないこと)、自分さえよければいいという“強欲さ”そして“小心さ”です。
この状態では人を信用できないため、氣づきを与えてくれる外観(第三者からの客観的な意見、刺激など)に対しても疑いを持ち、素直に受け入れ考えることをしません。
「まともなこと」とは
● 愛情…自分以外の人の成長や幸せを願う考え方や行動
● 理性…もの事のつながり、背景、本質が分かる。
● 知性…善悪の判断が出来る
● 感性…瞬時に「美しい」「異常だ」等、愛情と理性と知性を統合して感じること。
氣づくことによって「カス」を追い出し、「まともなこと」を取り入れる努力をすることが、その人の成長につながります。こうした努力を抜きにして、「何かいいことないかしら」と願っても、あり得ません。だから学んでいるのです。
論理で学んだことを内観を通して氣づきにしていくと、顔つきや話し方まで変わります。今日発表した木畠さんも、体格はいいのですが今までどちらかと言うとボーッとした感じでした。今日の発表は、にこやかで堂々としていて、初めて「氣」を感じました。
その人の言動には、その人が考えていることが素直に表れます。氣づきを増やし、頭の中につまっているものを入れ替えることによって、人生をもっと楽しくしていきましょう。
気温・湿度ともに高く過ごしにくい時期です。外部環境が厳しい上に業務が忙しいため、心身の疲労が蓄積します。十分に気をつけて仕事を行ってください。 |