5月和合塾定例会 5月10日(水)

テーマ 自分に対する疑問を持とう
 

 Aグループ 春日井支店 N K

 第40期経営学習会で学びながら、業務を理由に和合塾から逃げている私の背中を、伊藤塾長が押して下さった。

今年度から安全委員と編集委員になった。会議の場で同期の仲間と会い、話をするのが楽しみ。色々な場で活躍する仲間の姿に刺激を受け、自分自身に焦りを感じる。

  今まで「まだ25歳だから」と甘えていたが、パートナー社員の期間も含めると、社歴は6年。後輩もたくさん入社している。いつまでも甘えていてはいけないと反省した。

  今まで何も考えずに来たので、何をしたら良いのか分からないが、今までの様に、努力しない自分を正当化し、やったふりをするのではなく、一歩ずつ分かる努力をしてゆく。


Fグループ 黒川支店 N K

 自分自身が停滞していると感じ、機会があったらすぐに挑戦しようと思っていたので、苦手な発表を二つ返事で受けた。これまで何事もあまり深く考えず、勝手に「こんなもんだ。しょうがない」と諦めていた。

  今年、伊藤塾長から頂いたメッセージは、「自分自身に自信が持てる精進 自信が無ければ流されてしまう」。以前は自信を持って行動してきたが、学び始め、それが勘違いだったと氣づき、自分の無知と強欲さを知り、どんどん萎縮してしまった。自分が分からなくなり、初めは楽しかった配車の仕事も、不安が大きくなり、苦しくなった。そして、最近、やっと楽しい場面が増えてきた。

  本質的には他人依存できた自分、無意識に困難から逃げている自分の原因を探り、学び力をつけることで、黒川支店の求心力になる。


 Hグループ 西春支店 M K

 入社当時は何事にも無関心で、自分でも何をやっていたか分からない。

運動会でパフォーマンスリーダーや総括を経験し会社が面白くなり、和合塾や経営学習会に参加し、現在、小牧営業所で配車を行なっている。

  同じ支店の丹下さんの変化に触発され、今までは人に話さなかった自分自身の育成歴を、初めてHグループのメンバーに話した。話した後の反応が怖くて尻込みしていたが、実際に話してみると、みんな真剣に聞いてくれ、氣持ちが楽になった。

  今まで真剣にやりもせず、「やれば何とかなる」と思いのんびり構え、人が変化してゆくと取り残された氣がして、「何で俺だけ」と被害者意識に陥っていた阿呆な自分。苦手だからと人を寄せ付けず、当たり障りのないことだけ言ってきた自分自身の掘り下げを、怠けず行なってゆく。


Jグループ 犬山支店  O K

 現在、44歳。社歴は26年になる。体も声も大きいが、本当は弱い自分、ものが分からない自分を隠すために、大声や態度で威嚇してきたのだと思う。何をやっても、「まぁ、これぐらいでいいか」と、努力も中途半端だった。そして、この1〜2年、和合塾や安全委員会で、みんなの発表を聞き、今の自分では通用しないと感じながらも、人前で恥をかくのが嫌で、自分の殻に閉じこもり、いじけていた。

  和合塾もずっと「いれんびグループ」で楽をしてきたが、鈴木部長に勧められ、今年から正式にグループに入った。2ヶ月前に主幹事支店として安全委員会で司会をすることになったが、どうしたらいいか分からなくなり、当時の上杉係長(現、金山支店長)に相談した。自分の中身がないことを指摘され、自己分析の本を貸してもらった。読むと自分の弱さが身にしみ、さらに落ち込んだ。 今は長年強がり、立場が悪くなると開き直り、自分が作り上げてきたイメージを守るため、余分なところで力を入れてきたことが馬鹿らしくなった。少し自分の考え方を変えると、色々なことが「自分のため」と思える様になった。これまで人と話す時も、自分を隠しながら形式で終わっていたが、支店訪問やグループ会議で自分のことを話すことで、今までよりもお互いを理解することができる。今は学ぶことが楽しい。肩に力を入れず勝負できる自分を作る。


伊藤塾長のお話

1.疑問と謙虚さ

 疑問とは、それが本当かどうか、それが何であるのか、分からないことを尋ねることです。自分に対して疑問を持つことができれば、みんな成長し変化します。それは幸福になる道のひとつです。

  疑問を持てる理由は、自分の中に関心や好奇心、そして、論理的にもの事を分かりたいという科学する心があるからです。逆に疑問を持てない理由は、今までまともにものを考えたことがないのに、「自分は知っている、分かっている」と思っているからです。それでは、何をやっても上手くゆきません。

疑問を持つことと謙虚さは、紙の裏表です。

 勉強をやめると、疑問を持たなくなり、謙虚さがなくなります。それで何らかの権力を持った場合、部下を人間として認めることはなく、人も集まってきません。大宝全体でも、支店内・部署内でも同じです。

2.謙虚さがあれば、 どんなことからも学べる

 「3才の童子たりとも、我にまさらばすなわち彼に問わん。百才の老翁なりとも、我に及ばずんば彼を教えん」   趙州 

 これは中国の僧「趙州」の言葉です。

「相手が三歳の子供であっても、自分より優れた部分があれば、素直に教えてもらい、人生の先輩であっても、自分で分かる部分があれば教える」というように、疑問と謙虚さを持つことの大切さを表しています。

3.「思う」から 「考える」に進む勇氣

 大半の人が、「自分を成長させたい。家族を守りたい、会社を発展させたい」、と思っているはずです。しかし、思うだけでは、何も始まりません。

 なぜそうなのかを考えることで、自分の「意」と「志」が芽生え、本氣になった分だけ、様々な事柄に対して、「どうしてだろう」「なぜだろう」という疑問が生じてきます。

そして、さらに考え実践し続けます。本氣とは困難から逃げない、怠けない、ごまかさないことです。

4.身体のライフサイクルと精神のライフサイクル

  社会に出てからは、年齢が上がると、ものが分かるレベルに差が出てきます。人間は肉体と精神(心)で成り立っています。

 図の様に、肉体のライフサイクルは、ほぼ全員が年齢と共に、自然的に成長してゆきます。

  しかし、精神のライフサイクルは、何かの刺激を受け、今までの自分を一度否定してみたり、嫌なこととも向き合うということを、意図的に行なわなければ、成長期に入ってゆけません。肉体的には大人でも、精神は3歳の時と同じという状態です。

 自分にとって不都合なことがあると、すぐにキレるのは、その人が精神の成長期を迎えていないからです。 そういう人は一生文句を言い、ごまかしの人生を送り、やがて自ら不幸を招いてしまいます。

  大宝はその氣になれば、いくらでも学び成長できる、幸せな会社です。

自ら師(先生)や友人、刺激を求め、人の話を聞き自分の考えをレポートにまとめることなどが、精神の成長期に入るきっかけとなります。

 自分の考え方や行動に疑問を持ち、自分自身を掘り下げてゆくと、痛いことや苦しいこともありますが、そこから逃げると、自分の成長も、家族の幸せも、会社の発展もありません。仲間の力を借りながら、楽しんで取り組んでゆきましょう。


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