2月和合塾 定例会

【テーマ】 「自分を認め、変化・成長につなげよう」


Kグループ 犬山支店  貝川 禎実

 長年、何事も自分中心。指摘を受けても謝るだけで、聞く耳を持っていなかった。自信がなく発信も行動もできない自分が嫌だったが、変わる勇氣もなかった。昨年、安全研修会後の門田課長との面談をきっかけに、経営学習会に参加。多くの方からの話やアドバイスを受け、自分に対して新たな発見ができた。

 何事も不安で尻込みしてきた自分だが、10月の物流フェスティバルで頂いた部長の役割にも、勇氣を出してチャレンジできた。

「やればできる」と一つ自信になった。和合塾などで塾長のお話を聞き、自分の考え方を見直すことができ嬉しかった。
 今自分では限界だと思うことも、他の人から見ると半分以下かもしれない。

ものの分かる次元を上げ、柔軟性を高めるため、自分の考えだけに固執せず、色々な考え方を受け入れ、すり合わせて考えてゆく。


Nグループ  三好支店 竹中 祐介

 つい数ヶ月前まで、人から認められること、好かれることが、目的ではなく結果だということが分からず、その場その場で相手に合わせ、ちょっと負荷がかかると、「自分はちゃんとやっているのに」と思っていた。努力せず結果だけ求めているのは強欲だと、少し認めることができ、前向きになってきた。
 きっかけは、昨年10月の泡影塾での発表を前に、三小田主任と育成歴について話をしたこと。自分の人やもの事のとらえ方の甘さ、客観的に考える力の無さを知り、今のままの自分では嫌だと思った。まだ短い期間だが、今までやらなかったことを逃げずにやると、業務でも他のことでも踏ん張れるようになった。そして、何より自分が楽しかった。
 前向きに努力すると、家庭まで明るく笑いが出るようになった。6歳の娘が描く私の絵も、小さくて地味な色から、だんだん大きくカラフルになってきた。

何も言わなくても変化を感じているのだと驚き、親としての責任の大きさを感じた。この氣持ちと努力を継続し、困難な状況にも踏みとどまり、這い上がれる力をつけてゆく。


Lグループ 金山支店支店長 上杉 超治

 15年前、乗務職員として犬山支店に入社した。入社の動機は遊ぶための金欲しさと、車の運転が好きなこと。そして、人と接するのが嫌だったから。

小学校高学年頃から、親を通して見てきた社会。人殺しや虐待をする人間。訳も分からず、「人は怖い」と肌で感じていた。
 それから30歳頃まで、自分を守るため相手を寄せつけず、強い人に憧れ恰好をつけるなど、ずっと自分を演じてきた。職場でも文句を言われない程度に合わせ、指摘されても耳をふさぎ、その場をしのいでいた。
 入社6年目に交通事故を起こした。さらに自家用車で違反をして免停になった。講習を受けても乗務できない日が続いた。期間が過ぎホッとしていたのもつかの間、「国は許しても大宝は許さない」と上司に言われ、大げんかになり、売り言葉に買い言葉で「辞めてやる」と息巻いていた。

そんな時、本社へ行き伊藤専務(塾長)に「自分を大切にしろ」「今の自分の考え方では通用しないとういう結果だ」と指導を頂いた。

このままではいけない。変わろうと思った。
 自分が変わりたいと思うと、大宝には学ぶ場、出会いの場がたくさんある。安全活動、運動会・文化祭など全社のイベント、和合塾。それまで何も感じなかった心に、色々なことがひっかかるようになった。
 その後、事務職員になるなど変化はあったが、自分自身の目標を失い、投げやりな時期が続いていたある日、伊藤専務からやさしく、厳しいご指導を頂いた。ずっと自分をごまかして生きてきた分、どうやって生きればいいのか分からないこと、人が怖くて信じられないことを打ち明けた。「甘ったれるな」と温かく、大きな雷を落として頂き、目が覚めた。
 人生は痛みと苦しみの連続。自分が変化せず、ずっとそこから逃げてごまかすのか、自分が変わるのか、どちらかしかない。様々なチャンスと外部からの刺激を頂いて、達成感や心の充実感を味わうなど、一定のところまではいける。しかし、その先は、本物の自分に近づくための努力がいる。それがないと、いつでも自分の都合で浮き沈みがあり、与えて頂いていることにも感謝できず、さらに求めてしまう。
 これからの大宝を守り、つくってゆくのは、ここにいる私たち。学び自分の根っ子を太くし、ちょっとやそっとで折れない自分、2年先、3年先の自分の姿を描きながら、一歩前に踏み出す勇氣を持ち前進しよう。


伊藤塾長のまとめ

 1 自分を知り、認めることが、学びのスタート

 今回のテーマは、自分が変化・成長するために、とても大事なことです。

「自分を認める=知る、分かる」ことは、人生の全ての原点であり、最も難しいことでもあります。これがあるレベルまでできれば、誰もが変化します。
 犬山支店の石川猛さんは、穏やかな目つき、顔つき、話し方をしていますが、数年前までいつも目をつり上げ、頭のてっぺんから声を出し、相手の話を最後まで聞かずに「はい、分かりました」と返事をして、人を寄せ付けないようにしていました。

経営学習会で学んでいる時から本を読み始め、約2年間継続しています。「大事だからやってみよ」と言われたことを1年継続すると、だんだん身につき変化してきます。
 自分を知ること、認めることの難しさは、次のことわざ、格言にも表れています。

*「他人のふり見て我がふり直せ」他人のことは分かるが、自分のことは分からないので、他人を見て自分の悪い点を改めるよう心掛ける
*「山中の賊は破り易し、心中の賊は破り難し」王陽明
*「敵を知り己を知れば百戦危うからず」    孫子

 今は格差社会と言われています。業務能力の格差は、あっても2倍程度ですが、自分を知り、分かり、認める能力の格差は、ゼロから無限大です。

その能力によって人生が決まると言っても過言ではありません。誰もが幸せになりたいと思っています。しかし、自分が分からず、ズレた考え方では、幸せにはなれません。
 変化する時代に対応し生きてゆくために、こういうことが大事だと言っても、多くの人がちょっとやって、分かったつもりになり、中途半端で終わります。もの事は実際に自分で努力した分しか分からないので、考えること、行動が中途半端であれば、結果も中途半端、中途半端な人生になってしまいます。
 この先約20年は、生活してゆくのがますます大変な時代が続きます。その中で生きてゆく自分たちが、もの事を分かる努力をし、変化しなければ、七転八倒の人生になってしまいます。自分と家族を守るために、自分を認め、変化につなげましょう。

2 誰もが「歩く強欲」

では、自分の何を知り、分かり、認めればいいのでしょうか。一番早いのは、人間の本質である「阿呆さ、強欲さ、小心さ」です。私たちは誰もが、自分自身のことさえ分からない阿呆さ、努力せず良い結果が欲しいという強欲さ、意味もなく恐れる小心さを持っています。仏教では心の三毒「貪・瞋・痴」を知ることの大切さを説いています。

*貪(とん) 心の中にあるむさぼり。精神的な乞食

*瞋(じん) 我欲と嫉妬から生まれる私的な怒り
*痴(ち) ものが分からない。愚痴、泣き言を言う

 今は会社もそこで働く人たちも、ますます厳しい条件を強いられる時代です。泣き言の一つも言いたくなりますが、なぜ、人は泣き言を言うのでしょうか。
@他人の同情を買うため
A自分は偉いのだと思わせるため
B自分の力の無さを棚に上げ、自分 の力量はこんなもんじゃない、俺 を使える上司はいないと言う
C恰好をつけるため
 どれも自分の強欲さが元にあります。泣き言は相手のレベルが低い時には通用しますが、多少もの事が分かる人には通用しません。たまには仕方ありませんが、場所と相手をわきまえ、分かって言いましょう。
 本社の辻井係長は、私から「歩く強欲」と言われ、自分の強欲さを知るために、「強欲日記」をつけ始めました。お互いに日常の言動を見直してみると、強欲なことをたくさんやっています。それを一つでも多く認めることができれば、変化・成長につながります。笑ってごまかさず、楽しみながら真面目に取り組んでゆきましょう。

  その核であり、人間としてのつながりをつくる面白さを、一番身近で感じることが出来るのが和合塾です。日頃、厳しいことや苦しいこともありますが、皆で助け合い、笑い声のある会社にしましょう。


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