1 自分を知り、認めることが、学びのスタート
今回のテーマは、自分が変化・成長するために、とても大事なことです。
「自分を認める=知る、分かる」ことは、人生の全ての原点であり、最も難しいことでもあります。これがあるレベルまでできれば、誰もが変化します。
犬山支店の石川猛さんは、穏やかな目つき、顔つき、話し方をしていますが、数年前までいつも目をつり上げ、頭のてっぺんから声を出し、相手の話を最後まで聞かずに「はい、分かりました」と返事をして、人を寄せ付けないようにしていました。
経営学習会で学んでいる時から本を読み始め、約2年間継続しています。「大事だからやってみよ」と言われたことを1年継続すると、だんだん身につき変化してきます。
自分を知ること、認めることの難しさは、次のことわざ、格言にも表れています。
*「他人のふり見て我がふり直せ」他人のことは分かるが、自分のことは分からないので、他人を見て自分の悪い点を改めるよう心掛ける
*「山中の賊は破り易し、心中の賊は破り難し」王陽明
*「敵を知り己を知れば百戦危うからず」 孫子
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今は格差社会と言われています。業務能力の格差は、あっても2倍程度ですが、自分を知り、分かり、認める能力の格差は、ゼロから無限大です。
その能力によって人生が決まると言っても過言ではありません。誰もが幸せになりたいと思っています。しかし、自分が分からず、ズレた考え方では、幸せにはなれません。
変化する時代に対応し生きてゆくために、こういうことが大事だと言っても、多くの人がちょっとやって、分かったつもりになり、中途半端で終わります。もの事は実際に自分で努力した分しか分からないので、考えること、行動が中途半端であれば、結果も中途半端、中途半端な人生になってしまいます。
この先約20年は、生活してゆくのがますます大変な時代が続きます。その中で生きてゆく自分たちが、もの事を分かる努力をし、変化しなければ、七転八倒の人生になってしまいます。自分と家族を守るために、自分を認め、変化につなげましょう。
2 誰もが「歩く強欲」
では、自分の何を知り、分かり、認めればいいのでしょうか。一番早いのは、人間の本質である「阿呆さ、強欲さ、小心さ」です。私たちは誰もが、自分自身のことさえ分からない阿呆さ、努力せず良い結果が欲しいという強欲さ、意味もなく恐れる小心さを持っています。仏教では心の三毒「貪・瞋・痴」を知ることの大切さを説いています。
*貪(とん) 心の中にあるむさぼり。精神的な乞食
*瞋(じん) 我欲と嫉妬から生まれる私的な怒り
*痴(ち) ものが分からない。愚痴、泣き言を言う
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今は会社もそこで働く人たちも、ますます厳しい条件を強いられる時代です。泣き言の一つも言いたくなりますが、なぜ、人は泣き言を言うのでしょうか。
@他人の同情を買うため
A自分は偉いのだと思わせるため
B自分の力の無さを棚に上げ、自分 の力量はこんなもんじゃない、俺 を使える上司はいないと言う
C恰好をつけるため
どれも自分の強欲さが元にあります。泣き言は相手のレベルが低い時には通用しますが、多少もの事が分かる人には通用しません。たまには仕方ありませんが、場所と相手をわきまえ、分かって言いましょう。
本社の辻井係長は、私から「歩く強欲」と言われ、自分の強欲さを知るために、「強欲日記」をつけ始めました。お互いに日常の言動を見直してみると、強欲なことをたくさんやっています。それを一つでも多く認めることができれば、変化・成長につながります。笑ってごまかさず、楽しみながら真面目に取り組んでゆきましょう。
その核であり、人間としてのつながりをつくる面白さを、一番身近で感じることが出来るのが和合塾です。日頃、厳しいことや苦しいこともありますが、皆で助け合い、笑い声のある会社にしましょう。
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