1 自分を信じられた分だけ、人を信じることが出来る。
酒井さんが人を信じるということについて話していました。誰もが自分にとって都合の良い人のことを、「自分は信じている」と思いたいのですが、問題は「自分自身をどれだけ信じているか」です。
自分自身を信じられない原因は、嫉妬心、劣等感、猜疑心の3つです。
・劣等感
(学歴や容姿、体型、能力、職業、お金の有無など、他の人より劣っていると感じているところを、人から痛みを受けないようにしている)
・嫉妬心
(自分以外の人が評価されたり、幸せそうな時、物質的に豊かな時に「何であの人ばっかり」 「私はいつも損をしている」と妬み、足を引っぱったり、相手のやる氣を奪おうとする)
・猜疑心
(科学的に疑問を持つのとは違い、実際には何も無いのに、自分の中にある恐怖心から、相手が自分を嫌っている、陥れようとしているなどと勝手に思い込み恨んだり恐れたりする。敵だと思い、仕返しをする) |
これらの大きさを自分なりに測ってみて下さい。
3つとも誰にでもあるので心配ありません。ただし、大きければ大きいほど自分自身を信ずることは出来ず、「信友」が出来る可能性は非常に小さくなります。
なぜ、これらが強いのかを知るためには、自分の過去を掘り下げることが必要です。子供の頃から両親が「夫婦でも信用できない」と考え行動していれば、「人は信用するな=疑ってかかれ」ということを、子供の心にすり込んでしまいます。
猜疑心は3つの中でも一番根深く厄介なものです。
原因が分かったら、どうやってそこから脱却するかです。私の家は経済的には貧しかったのですが、あまり猜疑心を持たずに済みました。そのため30代の頃は、考え方と行動の立脚点として8〜9割を「性善説」(人は生まれながらにして善であるという孟子の説)に置いていました。
その後、30年以上に亘り多くの人に出会い、色々な経験をする中で、人間はみんな半分半分。
「性善説」も「性悪説」(人は生まれながらにして悪であり、善のように見えるのは偽りであるという荀子の説)もあると考えるようになりました。
2 継続した楽しさをつくり出すのは自分自身
人に氣を使わせるということは、自分の人格・能力の次元が低い証拠です。
人格(ものの考え方、価値観)・能力の次元が高い人は、人に氣を使う(配慮し共感性や愛情を持つ)ことが出来ます。本来リーダーは、人に対してサービス出来る人、氣を使える人でなければなりません。
また、外部から与えられた楽しさと物質的な喜びは、瞬時に消えてしまいます。
いつも外部(他者)から与えられることを待っている人、自分からはモノやお金やエネルギーを出さないケチな人は、継続した楽しさ、喜びを得ることはできません。運動会で何らかのリーダーを務め、楽しかったという人は、自分から他の人に働きかけ、相手に喜んでもらえたからです。
3 自分の無知を知り、言葉の意味を分かって考える
人間は言葉によってものを考えます。つまり知識として言葉を知ることと、その言葉の意味や概念が分からないと、考えることが出来ないということです。
例えば「事故を防止するため、安全を意識せよ」と言っても、「安全」とは何か、「意識する」とはどうすることかが分からなければ、何も出来ず事故を起こしてしまいます。ものが分からず無知であれば、大事なことにも無関心で無意識なため、仕事でも人生においても同じ失敗を繰り返します。
もの事が分かるようになるために、まずは自分が無知であると認め、辞書などを活用し言葉の意味や概念を知り、意識して考え行動し続けることで、自覚のレベル(学んだことが身につく)まで到達する努力をしてゆきましょう。
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