20年前の入社間もない頃、伊藤専務あてにいらしたお客様にお茶をお持ちした時「今春、入社した門田です。ものは分かりませんが、まぁ元氣に頑張ってますわ」と紹介して下さった。
「ものが分からない」ということは置いておいて、最後の言葉だけで「褒められた!」と喜んでいた私が、「あれ?もの事が分からないとは、こういうことかな」と目覚めるまで約5年かかり、やっともの事がつながり始めたのは、それから5年後。それぐらい「ものが分かる」には時間がかかる。
そんな自分自身の体験を踏まえ話がしたいと思い、時間をいただいた。
事前に話す内容を伊藤塾長にお話したら「色んな切口があるから、自由に考えてみればいい」と助言をいただいたので、参考にしてほしい。
1.もの事が分からないと悲しい
「もの事」とは、私たちの周りにあるもの、起きる出来事すべて。それを見たり、聞いたりした時、自分の考えや持っている知識、原理原則、これまでの経験などをもとにして、より客観的な判断ができ、TPO(時と場所と場合)に応じた言動をとることができることが、もの事が分かること。
私は入社当時から支店を訪問して色々な人の話を聞くのが好きだった。
ある時、「支店の親睦を図るため旅行を計画している。しかし、日程がうまく合わず文化祭の日と重なってしまった」という話を聞いた。
今ならすぐに「おかしい」と氣づき、指摘できるが、そんなことも分からず本社へ帰り、何の氣なしに話をした。伊藤専務が幹事を呼び出し指導してみえる様子を見るまで、組織の足を引っぱる計画だということが分からなかった。
このようにもの事が分からないと、実際に色々なことを見たり聞いたりしても、つながらず意味が分からないので、ズレたことを平氣でやってしまう。
自分では良かれと思い、相手の役に立ちたいと思いやっていることが、かえって相手や組織の足を引っ張ってしまう。
誰かを何かを守りたいと思っても、逆の方向に行ってしまうことが、もの事が分からないことの悲しさだ。
その頃の私は22歳。学校を出たばかりで世の中のことも、会社のことも人間のことも、当然自分自身のことも何も知らなかった。
自分の目で見える現象だけで「あの人は一所懸命がんばっている。親切にしてくれる。この間、うどんをご馳走してくれた。だから 良い人 」だと思い、自分の事も良い人だと思っていた。それでも結構楽しかった。
2.「自分」が分かると、もの事がつながり始める
もの事が分かるとは、
@バラバラにあるものをつなげ、意味を見出す
A一つのものを、共通点を見つけながら仕分け(分類)する
B現象から背景、本質を探る
C自分を掘り下げより深く知ることで、相手を理解する
こういった力をつけることで、もの事の善悪や是非、優先順位などが分かるようになること。
バラバラになっているものをつなげて考えるには、針となる自分の「意」=「知りたい、分かりたい、できるようになりたい」という想いと、つなげる糸となる「知識や経験、原理原則」が必要。
その二つを使って考え、実践し続けることで、一つひとつもの事がつながってくる。つながりの中で最も大事なのは「時間のつながり」と「人のつながり」が分かること。昨日と今日と明日はつながっている。それが分かった分だけ、目先をごまかすための嘘や、何もせずに「何とかなる」という甘い考えは少なくなる。
人間は自分にとって不都合なこと、痛みを感じることは、それ以上聞かない、見ない、感じない、考えない、やらないようにすることで、自分が傷つかないようにする。子供の頃からそれを繰り返していると、大人になってからもほとんど反射的に反応してしまい、結果として思考も行動もブツ切れになってしまう。
それを続けている限り、もの事はつながらない。
だから学ぶことが必要で、その第一は自分を知ることだと、私は実感している。
中でも自分にある「悪玉の人間性」
@我欲(いつも自分の都合ばかり考え行動する)
A嫉妬(相手の良さを認められない)
B迷妄(指摘されても私は間違っていない、そんなつもりはないと考えない)
C憎悪(被害者意識が強いと大きくなる)
に氣づくことができるようになり、言葉の意味を大切にし、分かって使えるようになると、自分が言ったりやったりしていることを、自分で説明できるようになる。それに伴い人の言動を見て「変だなぁ」「すごいなぁ」と感じることが「何が、なぜ変なのか」「すごいのか」が分かるようになってくる。
それが相手に伝え話をすることにつながり、さらに相手を深く知ることができ、分かること、できることが増え楽しくなる。
多少痛みがあったとしても、周りで起きていること、自分に求められていることを、ちゃんと見る、聞く、考える、やってみることを続けることで、もの事のつながりを分かり、お世話になっている人、今ある条件に感謝できる自分をつくってゆこう。
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