5月和合塾定例会 2011年5月11日(水)

5月和合塾

【テーマ】 「 なぜ生きるのか なぜ学ぶのか なぜ働くのか 」

伊藤塾長講義

 大変な時代だからこそ、原点を大切にしよう

 今年の春闘の団体交渉は2回行ない妥結しました。

これは久しぶりのことです。厳しい時代背景があるにしても大幅な減額をお願いすることになり、みなさんには申し訳ないと思っています。

家に帰って娘に話したら「キツイよね」と言っていました。

本当にそうだと思いますが、みんなで力を合わせて頑張って下さい。

 今日、宝石販売の老舗「美宝堂」が事実上倒産しました。

この地域で長年にわたり商売を続け、名古屋名物のひとつになっていただけに一抹の淋しさを感じます。

時代は厳しく、これから本当の勝負が始まります。生半可な戦ではありません。 正社員500人の小さな会社である大宝が、その中で生き残るためには、自分たちで仲良くできる条件をつくることが必要です。間違ったことや不正、おかしいことに対して、見過ごさず「おかしい」と言い、正したうえで仲良くできる条件をつくって下さい。

 今は「こうしたら儲かる」という単純な時代ではありません。

私たちにとって原点である「人間」や「生きる」ということについて、もう一度まじめに考え直しスタートすることが大事です。

 私たちは人間として生きていますが、あと100年経てば誰も存在しません。

大きな宇宙の一部分を、ほんのわずかな時間だけ借りて人間として生き、100年前後でまた大きなところに帰ってゆくのです。

私たちが永遠にあると思っているこの地球も、あと50億年経つと爆発してガスになって消えて行くと言われています。

また現在も新しい星が次々と生まれ、死んで行く星もあります。

スケールは違いますが人間も宇宙も同じことをやっているのです。お互いに人間として何億分の一の確率で生まれてきたかけがえのない生命です。

大切に生きる努力をしてゆきましょう。

 苦しい人生を楽しくするのは 自分

 戦後の学校教育では人生は幸せなのが当たり前、より幸せな人生を送るには努力が必要だと教えられてきました。

しかし、人生はそんなに簡単なものではありません。なぜならば人生の本質は「四苦八苦」だからです。

 この四苦八苦が人生の原点です。

しかし、それだけでは何の為に人間として生まれ生きているのか分からず、ともすると刹那の快楽を求め働いて好きなものを買うことを喜びにしてしまいます。

そこから脱却するためには、最低限、人の役に立つ努力をすることが必要です。そのためには学んで自分の人間性を向上させなければなりません。

そうすれば必ずみんな幸せになれるかどうかは分かりませんが、学ぶことを放棄した人間は、もの事が分からないので、幸せになりたいと一所懸命頑張っても思うようにならないのです。

 では人間性を高めるとは、どういうことでしょうか。左の図のように人間性には善玉と悪玉があります。

 人間性を高めるとは、学ぶことによって善玉の人間性を大きくし、悪玉の人間性を小さくすることです。逆にいつも自分の都合の良いことだけ求め、他の人が褒められると頭にきて、ものが分からないのに分かったふりをし、少し本当のことを指摘されるとびっくりしてふて腐れるようでは、いくら学校の成績が良くても人の役に立つことはありません。

そういう人が多くなれば、社会や組織は間違いなく崩壊します。

個人個人が他者から信頼され、会社を発展させるためには、学んで人間性を高めるしかないのです。

そういう条件を作ると、本質的には苦しくて厳しい人生の中に楽しさを発見することができ、結果として相手から「ありがとう。

 あなたのおかげで助かった」と喜んでもらえ自分も生きていて良かったという人生を送ることができます。

自分とまわりの人を幸せにする、器の大きな人間になろう

 みなさんは今日、雨の中での仕事を終え、こうして学びに来ています。

私はそんなみなさんにできれば立派な人間、リーダーになって欲しいと願っています。

本当のリーダーになるためには、ゴマすりや世渡り上手になるのではなく、「人間の器」を大きくすることが必要です。

 こういうことを考え、身につける努力をした分、人の役に立ち、少し社会に役立つ人間になることができます。そうでなければ、いつでも自分一人のことで精いっぱいです。

 もう一つ大事なことで、日頃私たちが忘れていることが「生の二面性」についてです。

  @生きねばならない

  A生かされている 

私たちは嫌でも会社に来て仕事をし、一定の収入を得て生計を立て「生きねば」なりません。しかし、私たちが毎日食べ、身につけているもので、自分が作ったものはありません。ほとんど他人が作ってくれたものです。私もみなさんも大半が生かされているのです。

 上司と部下の関係も同じです。

人間として見た時、肩書きがあるから立派とは限りません。どちらも互いに生かされているのです。

管理者はおかしいことがあれば正し、進むべき方向を示さなければならず、また部下は指示されたことをやらず文句ばかり言っていては失格です。

それぞれの役割で生かされているということをお互いに分かることが、良い組織を作るもとです。

 ほとんどの人が「自分で生きている」と思っていますが、極端に言えば99.9%他者に生かされています。

そのことが分かる人ほど、人間として立派です。私は比較的若い頃からそういうことを考えてきましたが理屈で分かっても、まだ身についていませんので大したことはありません。

 本当の学びには、「修業」と「修行」の両方が必要です。「修業」とは、知識や技術を習うことです。そして「修行」とは、人間性の向上を身につけることです。

理屈は多少分かっても、いつも同じことで叱られ、指導を受けている人は、修行がないのです。

例えば、3人いて饅頭が2つしかなかったとします。

3人とも饅頭は大好きです。その時、腕力が強いからとあとの2人を殴り倒し、饅頭を2つとも食べてしまう人は修行していません。

3等分してみんなで食べる人は、まだ立派です。「俺は我慢するから、一つずつ食べろ」と言える人が、修行という意味では一番立派な人です。

 この話をするとみんな笑いますが、日常的にそうなるためには並大抵ではありません。普段は大半の人が、ほとんど無意識に、他人を押しのけてでも自分が良い思いをしたいと考え行動しています。それで人が信頼してくれるはずがありません。

 修行の方は多少の痛みを伴います。

時には「いつになったら分かるんだ」と厳しく叱ってくれる人が必要です。

みんなが相手から嫌われるのがイヤだと、本当のことを言わなくなったらおしまいです。

 修業と修行を行ない、本当のリーダーになって下さい。

人間は1時間半の講義で説明できるほど単純な生き物ではありません。

本当に知りたいと思ったら、人間に関する色々な材料を集めることから始めましょう。

 これからの厳しい時代に、新しい大宝をつくってゆくために、自分たちで修業と修行を行ない、それをもとにして大宝がどういう方向に進んで行ったらいいのか、自分はどうすればいいのか考えて下さい。

 難しい時代ですので、できれば裏表なく楽しく、みんなでひとつになって頑張ってくれることを願っています。


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